An der schönen,blauen Donau |
美しく青きドナウ |
Wiener seid froh Oho,wieso No so blickt nur um! I bitt',warum? Ein Schimmer des Lichts Wir seh'n noch nichts. Ei,Fasching ist da! Ah so,na ja! Drum trotzet der Zeit O Gott, die Zeit! Der Trübseligkeit. Ah! Das wär g'scheidt! Was nützt das Bedauern Das Trauern Drum froh und lustig seid. Ehrt das Faschingsrecht, Wenn auch noch so schlecht Die Finanzen, Laßt uns tanzen; Heut zu Tage schwitzt Wer im Zimmer sitzt, G'rad so wie der Tänzer-Schwall Auf'n Ball. Ehrt das Faschingsrecht, Wenn auch noch so schlecht Die Finanzen, Laßt uns tanzen; Heut zu Tage schwitzt Wer im Zimmer sitzt, G'rad so wie der Tänzer-Schwall Auf'n Ball. Der Bauer kratzt sich sehr, Daß die Zeiten gar so schwer, Nimmt sich an Rand mit G'walt Zum Steueramt rennt er halt Hin und zahlt. Der Bauer kratzt sich sehr, Daß die Zeiten gar so schwer, Nimmt sich an Rand mit G'walt Zum Steueramt rennt er halt Hin und zahlt. Das Geld ist jetzt hin,das is g'wiß Das geb'ns nit mehr heraus, So weil jetzt der Fasching g'rad is, Ist Ball im G'moanwirtshaus; S'gibt saubre Diarndl'n noch An G'strampften tanzen wir doch Wann uns das Geld auch fehlt. Es hat ja fast d'ganze Welt Kein Geld! Ein dicker Hausherr,der ärgert sich sehr, Es steh'n im Haus alle Wohnungen leer, S'macht nix,er geht trotz seiner Gall Halt doch auf'n Maskenball. Fehl'n auch sechs Zinsparteien G'steigert wern d'Andern halt Morg'n zieht a Künstler ein, Der aber g'wiß nix zahlt, Pfänd't man,ist's ärgerlich, D'Leut hab'n nix hint und vorn So denkt der Hausherr sich Und tanzt voll Zorn. Der Künstler fühlt in der Grazien Näh' Wohl sich und weh Wie's Fischlein im See Verkörpert sieht er im heitersten Strahl Sein längst schon geträumtes Ideal Er ist's,dem die Musen die Stirne geküßt, S'Leben versüßt, Den die Schönheit begrüßt Wo Freude und Liebe erblühen im Keim, Fühlt sich der Künstler daheim. Rasch im Schwung, Frisch und jung Kündet meisterlich Jeder Künstler sich, Drum mit Recht steht die Kunst Bei den Damen in so hoher Gunst. Selbst die politischen,kritischen Herr'n Drehen weise im Kreise sich gern, Wenn auch scheinbar bewegend sich keck, Kommen sie doch niemals vom Fleck, Wie sie so walzen,versalzen sie meist Trotz der Mühen die Brühen im Geist Wie's auch Noten schreib'n noch so so exakt Kommen's leider Gott stets aus dem Takt. D'rum nur zu Tanzt ohne Rast und Ruh', Nützet den Augenblick, Denn sein Glück Kehrt nicht zurück. Nützt in Eil' Das was Euch heut zu Theil, Denn die Zeit entflieht Und die Rose der Freude verblüht. D'rum tanzt,ja tanzt,ja tanzt |
ウイーンっ子よ 陽気に行こうぜ! おいおい 何でだよ? いやなあ あれを見ろよ! 教えろよ、何だよ? あのちらつく光さ 何も見えねえよ それ カーニバルだぜ! ああ ホントだな! だからこんな時代 吹き飛ばそうぜ だな、この時代をな このシケた時代を おう! そいつぁいいなあ くよくよしたって仕方ない 落ち込んだってさ だから陽気に景気よく行こうぜ カーニバルの流儀に敬意を表して どんなにひどい 金欠だろうが 踊っちまおうぜ 今日の日は汗をかきかきな 部屋ん中でじっと座ってるやつでも 陽気に踊り回るのさ ダンスホールで カーニバルの流儀に敬意を表して どんなにひどい 金欠だろうが 踊っちまおうぜ 今日の日は汗をかきかきな 部屋ん中でじっと座ってるやつでも 陽気に踊り回るのさ ダンスホールで 農民たちは頭をかきむしってる 世の中がとても厳しくなったもんだから それでも力ずくで連れて行かれる 税務署に駆け込まされるんだ そこで税金を払い切らにゃならぬ 農民たちは頭をかきむしってる 世の中がとても厳しくなったんで それでも力ずくで連れて行かれる 税務署に駆け込まされるんだ そこで税金を払い切らにゃならぬ 金が消えちまった、そいつは間違いねえ そしてもう返ってはこねえんだ だったらカーニバルでもとっととやろうぜ 舞踏会が町の宿屋であるんだ きれいな服の娘たちも出るぞ 足を上げてダンスしよう 俺たちの金がなくなっちまったんだからな もっともこの世のあらかたに 金はないけど 太った大家も困り果ててる アパートは空き部屋だらけだぜ だがそんなの何でもねえ、大家は悩みなんかものともせず 仮面舞踏会に行くんだ 6軒のテナントが埋まらなけりゃあ 残りの家賃を上げればいい 明日には芸術家がひとり入居する だけどやつは決して家賃を払わねえだろう 代理執行人を呼んでもムダなこった どうせやつにゃあ前にも後ろにも何にもねえんだから 大家はそう考えるしかねえから 怒り狂ってダンスをするんだ 芸術家のやつぁ美の女神が降臨すりゃあ うれしくもあり つらくもあろうけど 湖の中の魚みてえに 明るい輝きの中で表現してるように見える やつのずっと夢みてた理想を そいつは美の女神がその額にくちづけをしたやつなんだ 人生を甘くし 美しいものが挨拶をする 喜びと愛とが花開いているところで 芸術家のやつぁお手のものさ すばやい動きで フレッシュに若々しく 巨匠然として語る 芸術家のやつらは皆そうさ それで合点がいくのさ ご婦人たちにやつがとてもモテてるのが 政治家や評論家のお歴々でさえも 喜んで輪の中で回っている だがどんなにイカシて踊ってるつもりでも まるでサマになっちゃいない やつらがワルツを踊るほどに、そいつは台無しになっちまう 頭ん中でどんなに考えたところで どんなに正確に音符を記録したところで おあいにくさま 調子はずれさ だからひたすら 踊るんだ 休むことなく 一瞬でも無駄にするな どうせ幸せは もう戻ってはこないのだから 急いで使っちまえ お前が今宵手に入れたものは 時間はあっという間に過ぎ 喜びのバラは色あせるのだから だから踊れ、そうだ踊れ、そうだ踊れ |
ヨハン・シュトラウスの代表作といえるワルツ「美しく青きドナウ」は、もともと男声合唱のために書かれていたというのは割と良く知られた事実ですが、その初演で歌われた歌詞というのは今や取り上げられることがまずないからでしょうか、ほとんど知られてはいないようです。と言いますのも実はそこで使われた歌詞には「ドナウ」という言葉がタイトルに反して一言も出てこないばかりでなく、上でご覧頂いたようにあまりに斜に構えたへんてこりんなものだったので評判がパッとせず、後にこの曲が管弦楽バージョンで有名になってからもっと格調高いものに差し替えられ、その後は合唱で歌われる時にももっぱらそのお上品だけれども面白味はあまりないものになってしまったからです。オーストリア第2の国歌となったとさえ言われるFranz von Gernerthの手になるその格調高い歌詞は私には訳すにしてもそんなに楽しいものではありませんでしたのでCDのライナーノートなどにお任せして、ここでは非常に訳していて面白かった、そして今や目にすることも稀なこのJosef Weylの手になる初演で歌われた歌詞を取り上げました。
このワイルと言う人、この曲を初演した男声合唱団のメンバーだったそうですが本業は警察官で、詩や音楽のプロフェッショナルというわけではなかったようです。それもあってかこんなにくだけた、ちょっと毒のある歌詞を書けたのでしょうか。冒頭からしてバスとテノールの掛け合いで、最初の有名な旋律ドミソ・ソーのところをバスが”Wiener seid froh!”と歌うのに答えてテノールがソソ・ミミの音に乗せて”Oho,wieso”(「オホゥ・ヴィッソ」と聴こえる)と返し、以下交互に漫才みたいに会話をしながら歌われていくのは、歌詞を見ながら聴くと思わず微笑んでしまいます。
またそのあと続いていくワルツの中では、ウィーンの様々な人間模様がダンスホールに織り成されていきます。当時オーストリアはプロシャとの戦争に敗れ、またその少し前にはバブル経済が破綻していて人々の閉塞感は強いものがあったようですが、そんな片鱗が歌詞の端々に織り込まれ、非常に興味深い歴史の証人となっているのですね。最後の「どうせ幸せは戻ってこないんだから Denn sein Glück Kehrt nicht zurück.」なんてフレーズは、あの華やかなメロディの中で歌われるとなんとも皮肉。悲惨な境遇を覚めた目で突き放して見ているところが面白いところでもあり、一部の生真面目な方には許しがたいと感じられるところなのでしょうね。しかし何の関わりもない後世の者から見ると、この詞はまさに歴史の中で衰退して行くハプスブルグ家・オーストリア帝国のたそがれを感じさせます。いや関わりがないどころか、この歌詞って今の日本の世相そのままを思い起こさせる内容ではありませんでしょうか。こんな風にワルツにうつつを抜かすことができるほど余裕がないのが残念ではありますが、どんなに苦境でも搾り取られる運命の庶民とか、怒り狂ってる大家とか、はたまたでしゃばって却って恥をさらしている政治家や評論家などの先生方(これは今の世ではむしろマスメディアの皆様が似たような立ち位置におられるでしょうか)バブルが弾けたあとの人間模様、実にそっくりです。ちょっと芸術家だけを誉め殺しにしているようなのに違和感を感じないでもありませんけれども...
ヨハン・シュトラウス2世の活躍した19世紀のオーストリアは、ブルジョア階級の台頭もあり急速に市民社会が発達したところでした。もともと庶民の踊りでしかなかったワルツが広く受け入れられてこのシュトラウスのような人が爆発的な人気を得るようになったのも、そういった社会構造の変化があったからだと言います。この社会の大転換の様子をシュトラウスの活躍を絡めて書かれた「ヨハン・シュトラウス : ワルツ王と落日のウィーン」(小宮正安著・中公新書)が非常に面白くそこのところを伝えてくれています。私もこれを読ませて頂き、そこにこの「美しき青きドナウ」のオリジナル歌詞の一部が取り上げられていて私も興味を持ちました。また幸いなことにMarco Poloレーベルにある「シュトラウス大全集」、その第49集にこの歌詞で歌われたオリジナル版の演奏があり、音となっているのを耳にすることができました。
( 2009.08.17 藤井宏行 )