Away Down Souf |
南部へ行こう |
We'll put for de souf--Ah! dat's the place, For the steeple chase and de bully hoss race-- Poker,brag,eucher,seven up and loo, Den chime in Niggas,won't you come along too. (chorus) No use talken when de Nigga wants to go, Whar de corn-top blossom and de canebrake grow; Den come along to Cuba,and we'll dance de polka juba, Way down souf,whar de corn grow. My lub she hab a very large mouf, One in de norf,tudder corner in de souf; It ams so long,it reach so far-- Trabble all around it on a railroad car. (chorus) No use talken when de Nigga wants to go, Whar de corn-top blossom and de canebrake grow; Den come along to Cuba,and we'll dance de polka juba, Way down souf,whar de corn grow. I went last night to see my Sally-- Two story house in Pig tail ally, Whar de skeeters buz,and de fleas dey bite, And de bull dogs howl and de tom cats fight. (chorus) No use talken when de Nigga wants to go, Whar de corn-top blossom and de canebrake grow; Den come along to Cuba,and we'll dance de polka juba, Way down souf,whar de corn grow. |
俺たちゃ行こうぜ南部へ--ああ!あそこがそうだぜ 障害物競馬もあるし ゴキゲンな競馬もある ポーカー、ブラグ、ユーカー、セブンアップにルー だから黒ん坊たちと あんたも一緒に行かないか (合唱) この黒ん坊がいつ行きたいかなんて聞くのは無駄さ 麦の花が咲き、サトウキビが茂ってるところへと キューバに向かって行こう、そこでポルカ・ジュバを踊るんだ 南部へ行こう、麦の実るところへ 俺の恋人はでかい口をしてる 片っぽの端は北部で、もう片っぽは南部にあるほどだ とても長いんで、なかなかたどり着かねえ そこをずっと旅するのさ 汽車に乗って (合唱) この黒ん坊がいつ行きたいかなんて聞くのは無駄さ 麦の花が咲き、サトウキビが茂ってるところへと キューバに向かって行こう、そこでポルカ・ジュバを踊るんだ 南部へ行こう、麦の実るところへ 昨日の晩 俺のサリーに会いに行った ピッグテイル通りの二階建ての家さ そこじゃ蚊がブンブン言ってるしノミは咬むし ブルドッグたちゃうなるし雄ネコどもはけんかしてる (合唱) この黒ん坊がいつ行きたいかなんて聞くのは無駄さ 麦の花が咲き、サトウキビが茂ってるところへと キューバに向かって行こう、そこでポルカ・ジュバを踊るんだ 南部へ行こう、麦の実るところへ |
スザンナと同じ年1848年の出版で、恐らくこれもミンストレルショーで歌われていたと思われる南部の黒人訛り満載のコミカルな歌。奴隷として働かされ、虐げられていた彼らのことを揶揄したような内容だからでしょうか。今ではこの曲が取り上げられるのは私が知る限りほとんどありません。ただこういうものが当時の白人たちの娯楽として、顔に墨を塗った白人のコメディアンたちによって演じられていたということを封印してしまうのは私はあまり良いことだとは思いませんので、ご批判もあろうかとは思いますがご紹介して置こうと思います。原詞にも訳にも現代の基準では差別的と思われる言葉がありますがどうかご容赦頂ければ有難いです。原詞の方はたぶんオリジナルに一番忠実であろうと思われたピッツバーグ大のWEBサイトより拝借致しましたが、この時期のミンストレルソングで特徴的なのは、黒人奴隷たちの呼び方にはNiggaという、現代においてはほとんど日本人をJapと呼ぶに等しいような蔑称が平気で使われていることです。興味深いのはわずか数年後の1851年頃に書かれた作品群「Ring,Ring de Banjo」や「Old Folks at Home」ではこれがDarkeyというのに変わっています(これも現代ではかなりの差別的なニュアンスを持つ語とされてはおりますが)。このあたりも時代の微妙な変化(あるいはフォスター自身の関心のありかの変化なのかも知れませんが)が興味を引くところです。
( 2009.08.15 藤井宏行 )