The Village Maiden |
村の娘 |
The village bells are ringing And merrily they chime; The village choir is singing, For 'tis a happy time; The chapel walls are laden With garlands rich and gay, To greet the village maiden Upon her wedding day. But summer joys have faded And summer hopes have flown; Her brow with grief is shaded, Her happy smiles are gone; Yet why her heart is laden, Not one,alas! can say, Who saw the village maiden Upon her wedding day. The village bells are ringing, But hark,how sad and slow; The village choir is singing A requiem soft and low; And all with sorrow laden Their tearful tribute pay Who saw the village maiden Upon her wedding day. |
村の鐘は鳴っている ほがらかに響いている 村のコーラスは歌っている この幸せなときのために 教会の壁には飾られている 豊かで明るい花輪がいっぱい この村の娘を喜んで迎えようと 彼女の婚礼の日に だが夏の喜びはすぐに色あせて 夏の希望は飛び去ってしまった 彼女の眉は悲しみで陰り 彼女の幸せなほほ笑みは消え去った だがどうして彼女の心は重いのだろう 誰も、ああ!わからないのだ この村の娘を見ていた者の誰も皆 彼女の婚礼の日に 村の鐘は鳴っている だが聴け、何と悲しくゆったりと鳴るのだ 村人のコーラスは歌っている 穏やかに低く 弔いの歌を そして皆悲しみに包まれている 彼らの涙あふれる追悼の気持ち この村の娘を見ていた者の誰も皆 彼女の婚礼の日に |
こういうそっけない題名の歌はフォスターでは非常に珍しいです。それは彼のような流行歌の作曲家の場合、楽譜が売れなければ作曲家商売にならないわけですから、何の変哲もないインパクトの薄いものでなく、一目見ても心に引っかかるようなタイトルにしなくてはならないということが大きいでしょう。では何でこんなタイトルの曲が書かれたのか?ですが、実際のところは不明ですけれども、この曲のできた1855年というのはフォスターにとっては翌56から57年にかけての創作低迷期(その前後に比べて書かれた作品が極端に少ない)の直前で、いろいろな形で試行錯誤をしていたということもあるのではないかと思います。
実際この年に書かれた作品としては、彼にとっては珍しい重唱曲「Come Where My Love Lies Dreaming」や、これも曲想がフォスターらしくないけれどもかえってそれが成功している「Some Folks」やまるで日本の70年代の四畳半フォークを連想させるような私的なつぶやきとも取れてしまう問題作「Comrades Fill No Glass for Me」など数は非常に少ないながらも個性派揃い。そしてこの曲も詞をご覧頂ければお分かりの通りかなり不思議な展開です。フォスター自作の詞ではありますがこれはまるでドイツリートによく見られるハイネやウーラントなどの詩人が好んで書いた物語のよう。あまりアメリカの歌では見ることのないスタイルです。
1番の華やかな婚礼のシーンと3番の葬礼のシーン、歌詞のギャップはきわめて大きいのですが、フォスターの音楽は暗く変化することなく同じメロディが繰り返されます。彼のもともと明るい歌でもにじみ出てくる翳りの表情が、そのような処理でも違和感なくこの曲を聴かせてくれるのは面白いところでしょう。
( 2009.07.20 藤井宏行 )