I Pastori |
放牧民たち |
Settembre,andiamo. E' tempo di migrare. Ora in terra d'Abruzzi i miei pastori lascian gli stazzi e vanno verso il mare: scendono all'Adriatico selvaggio che verde è come i pascoli dei monti. Han bevuto profondamente ai fonti alpestri,che sapor d'acqua natía rimanga ne' cuori esuli a conforto, che lungo illuda la lor sete in via. Rinnovato hanno verga d'avellano. E vanno pel tratturo antico al piano, quasi per un erbal fiume silente, su le vestigia degli antichi padri. O voce di colui che primamente conosce il tremolar della marina! Ora lungh'esso il litoral cammina la greggia. Senza mutamento è l'aria. il sole imbionda sì la viva lana che quasi dalla sabbia non divaria. Isciacquío,calpestío,dolci romori. Ah perché non son io cò miei pastori? |
9月だ、行こう、移動の時だ。 ここアブルッツォの地で、私の放牧民たちは 羊小屋を捨てて、海を目指す 荒々しいアドリア海へと降りていくのだ そこも山の牧場のように緑に満ちているから... 彼らは山の泉で口を潤した ふるさとの水の味が 旅する心の慰めとなるようにと、 そして道中の渇きを紛らわせてくれるようにと。 ハシバミの杖も新しいのに替えた そして家畜の歩いてきた古い道をたどっていく ほとんど音のない川と見まごうばかりの草の道を いにしえの先祖たちが付けた足跡を踏みながら おお、あの声はまっさきに 海のゆらめきを見つけた者の声だ! いま岸辺にそって歩いていく 羊の群れ。空気はいまだそよぎもしない 太陽は生きた羊の毛を金色に染め もはや砂地と見分けがつかなくなった 波のささやき、足音、やさしい響き ああ、なぜ私はこの放牧民と一緒にいないのだろう? |
詩の中にあるアブルッツォというのはイタリアでも半島の中ほどでボスニアやクロアチアと真向かいのアドリア海に面した一地方。イタリアの主要都市がヴェネツィアを除くとほとんどすべて地中海側に揃っていることといい、行ったことはありませんけれどもなんだか日本海側の土地のようなイメージが濃厚に感じられます。実はこのアブルッツォ州というのは詩人ガブリエレ・ダヌンツィオの故郷なのだそうで、そんなところが「私の放牧民たち」というような言い回しとなって地元への愛着として現われてきているのでしょう。
地中海というところはアフリカから直接風が吹き付けるので寒暖の差が激しいのでしょうか。かの地の羊飼いたちはこんな風に夏場は山の上に、そして空きが来ると山を降りて暖かい海辺へと家畜を連れて降りて行くのでしょうね。この詩はそんな山の麓への移動の情景を歌います。
彼の詩集「アルキオネ(昴)」の中の59番目の詩、タイトルは「遠い地の夢 SOGNI DI TERRE LONTANE」とついていますが、その冒頭部分です。この「放牧民たち」に続いて以下「温泉」や「羊の群れ」...といった具合に、すべて「9月だ」で始まるこの詩と同じ詩形のサブセクションが繰り返されて行きます。ダヌンツィオの故郷への思いを「遠い地」として懐かしくも描写しているのでしょうか。
ピッツェッティの付けたメロディは彼お得意の古典的な旋法(エオリア旋法〜ドリア旋法なのだそうです)につけた格調高ささえ感じさせるもの。何だかこの放牧民たちも古代ローマ帝国につながる高貴な血筋の者たちのように聴こえてきます。ほのかな悲しみすら感じさせるようなその音楽はそれでも大変に魅力的。彼の歌曲作品の中でも一番よく知られたものでしょうか。しばしば耳にすることができます。
( 2008.09.06 藤井宏行 )