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Die Nebensonnen   Op.89-23 D 911  
  Winterreise
並んだ太陽たち  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 20 Die Nebensonnen

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Drei Sonnen sah ich am Himmel stehn,
Hab' lang' und fest sie angesehn.
Und sie auch standen da so stier,
Als wollten sie nicht weg von mir.
Ach,meine Sonnen seid ihr nicht,
Schaut andern doch ins Angesicht !
Ach,neulich hatt' ich auch wohl drei:
Nun sind hinab die besten zwei.
Ging' nur die dritt' erst hinterdrein,
Im Dunkeln wird mir wohler sein.

三つの太陽が空にあるのを見て
長いことそれに目を凝らしていた
太陽たちもそこに動かずにいた
まるで僕から離れたくないように
ああ お前たちは僕の太陽じゃない
他の人の顔を見ておくれ!
ああ 確かに僕もこの間まで三つ持ってたが
飛び切り良い二つはもう沈んでしまった
三つ目も続いて沈んでくれればいい
闇の中にいる方がましだろう


 この詩はどういうわけか4行+4行+2行で改行されているものが、内外のネット上や歌詞カードに多いようですが、ミュラーの原詩も、シューベルトの楽譜に掲載されたものも10行詩ですので誤りです。また、シューベルトによる変更が数箇所あるにもかかわらず、特に7行目頭の”Ja”を”Ach”に変更していないものが目立ちます。例によって感嘆符も4行目、9行目で省略されていますが、6行目だけは残してあるのが注目されます。詩の内容が、三つの太陽への呼びかけである中間2行を、4行づつの独白で挟んだ4+2+4の3部に分かれており、シューベルトの音楽もそれに合わせた三部形式になっているので、中間部末尾のみ感嘆符を残したのは効果的処置と言えるでしょう。そこから考えても4+4+2は不適切です。

 「並んだ太陽Nebensonne 」とは怪奇現象でもなんでもなく、本物の太陽の両側あるいは左右どちらかに幻の太陽が一つづつ水平に並んで見える、寒冷地で時折見られる気象光学現象(または大気光学現象)で、我が国では「幻日(げんじつ)」と呼ばれています。太陽高度60度以下でしか見られないため、日の出か日没時の現象とされますが、樺太と同程度という高緯度のドイツの冬では太陽高度が日中を通して非常に低い(冬至の正午で約16度)ことから、時刻にかかわらず見られることになります(そのためこの現象から時刻の推定はできません)。ミュラーの故郷デッサウを含む旧東独地域の気象条件がこの現象を起しやすいことから、日本でもそれほど珍しくはないこの現象(ネット上で「幻日」を検索すると驚くほどたくさんの写真や記事がヒットします)を、ミュラーがその目で見ていた可能性は高いと思います。

 気象光学現象としてのドイツ語Nebensonneの訳語は確かに「幻日」ですが、原語にない「幻」という漢字が混入してしまうのが、それがこの詩集の重要なキーワードのひとつだけに困ったところです。内容としては正に幻の話ではあるのですが、ミュラーがその語を用いずに表現したことも明らかです。また、本文では「三つある」とありますが、それが「並んでいる」とは書いてないので、タイトルを直訳しないと「(水平に)三つ並んだ太陽」ということがわかりません。しかも複数形になっているので、気象用語の「幻日」ではなく、直訳で「並んだ太陽たち」としてみました。

 さて、主人公が持っていたと言う「三つの太陽」とは一体何でしょうか。これについて、沈んでしまった「良い方の二つ」は第8曲「回想」に出てきた娘のふたつの瞳であり、まだ沈んでいない残りの一つは主人公の命とする渡辺美奈子さんの見解は妥当なものと思います(註1)。

 一方、三つの太陽を「信仰、愛、希望」だとする説も昔からあります。三つの太陽が象徴するものが恋人の瞳と自分の命という実体的なものだけでなく、愛や希望といった概念の象徴をも兼ねているということは、これまで見てきたこの作品の重層性から十分に考えられると思います。そこで「沈んでしまった二つ」と「残っている一つ」は何かを考えて見ましょう。

【沈んだもの/失ったもの】=2個
1.娘の愛
2.娘の誠実(裏切り=「風見」での「誠実な娘の姿を見つける」「金持ちの花嫁」、「流れの上で」での「壊れた指輪」、「烏」での「墓場までの誠実を見せてくれ」)
3.希望(「最後の希望」でそれを失う予感を、あるいは事実上失われたことを嘆いている)
4.信仰(「おやすみ」「勇気を出せ」などでの神への言及は不敬なものばかりで、しかもこの苦難の旅の中で祈ることがないことから、主人公は信仰を失っていることが推測される)

【沈んでいないもの/失っていないもの】=1個
1.娘への愛
2.娘への誠実
3.希望(「最後の希望」の詩でその象徴の葉が落ちた場面は描かれていない)
4.自分の生命

 これらを判断する上で重要なのは「この間まで三つ持っていた」、つまり話の流れの上で、失恋・娘の裏切りによって失われたものと考えられることです。すると失ったもので「愛」はまず間違いのないものとして、失恋によって「信仰」を失うというのは不自然に思われ、残るは「誠実」と「希望」ということになります。しかし「最後の希望」で描かれた希望とは、失恋によって失われたものではなく、その「失われた愛を取戻す可能性」という希望ではないでしょうか。以上から、主人公が娘に求め、一度は得ながら失ったのは「愛」と「誠実」であると考えることができると思います(註2)。

 次に「沈んでいないもの」ですが、「彼女への愛」と「彼女への誠実」のどちらかひとつを取るのは考えられず、「希望」がまだあるとも思われず、それがなくなればいいと願うのも不自然です。そうなるとわたしには「自分の生命」以外に思いつくものがありません。これなら1,2,3を含むものとも考えられます。

そこで、主人公が持っていたと言う「三つの太陽」のうち、いまだ沈んでいないのが自分の生命、今は沈んでしまった「良い方の二つ」とは、失われた恋人の輝く瞳の象徴であり、それは愛と誠実の象徴でもある、としたいと思います。考えてみれば、「恋人の輝く瞳」が「愛と誠実の象徴」であるのも当たり前のことではあります。

 しかし、歌詞だけでなくシューベルトの音楽を含めて考えると、違うものも見えてきます。「ああ、お前たちは僕の太陽じゃない 他の人の顔を見ておくれ!」を中間部として三部に別れる第一部と第三部では、ピアノと歌がほぼ同一の旋律で進み、「烏」のように、太陽が主人公に寄り添っている情景が描かれています。渡辺美奈子さんは、「オルガンが歌を先導し、歌に伴うような聖歌の響き」と評しておられますが、全編を通じて一度たりとも神に祈ることのない主人公に代わって、シューベルトが音楽で祈るようでもあります。「旅籠」でのあの音楽の意味もそこにあるのかもしれず、シューベルトは失われた二つの太陽を「愛と信仰」と解釈しており、この救われない若者のために祈りの音楽を書いたと考えることも出来るでしょう。もしそうであるなら、ミュラーの詩集とシューベルトの歌曲集の性格の違いは、信仰の有無にあると言えるかも知れません。

 前曲「勇気を出せ」での無理矢理の昂揚も力尽き、立ち止まって太陽とその幻を眺め、死に憧れる主人公。彼にこの旅を続ける気力は残されているのでしょうか。次の終曲「ライアー弾き」で、主人公の眼差しは自らの苦悩から、この物語で初めて具体的に描かれる他者に向けられます。

註):
1.渡辺美奈子「『冬の旅』の根底にあるもの――ヴィルヘルム・ミュラーのベルリン、ブリュッセル時代――」 『ゲーテ年鑑』第48巻所収 (日本ゲーテ協会)より94、97頁
2.渡辺美奈子 Die Nebensonnen 幻日 ヴィルヘルム・ミュラー(1823)
http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/dienebensonnen.htm

参考HP:
・渡辺美奈子「ヴィルヘルム・ミュラーの詩における天体と瞳」2008
http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/augen.htm
・「幻日」 ウィキペディア(日本語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BB%E6%97%A5
・Nebensonne ウィキペディア(ドイツ語)
http://de.wikipedia.org/wiki/Nebensonne
・空の輝き:空と太陽に関わる現象(気象光学現象)
http://homepage3.nifty.com/ueyama/sky2/sky.html#genjitsu
・星空@ドイツの気象状況
http://www.hoshizora.de/file/klima/wetter.htm
※1800〜20年頃のヨーロッパは、この現代の気象状況よりかなり寒かったとされる。
参考文献:『夏が来なかった時代』桜井邦明(吉川弘文館)

( 2008.09.02 甲斐貴也 )


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