TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


Selige Welt   Op.23-2 D 743  
 
幸福の世界  
    

詩: ゼン (Johann Chrysostomos Senn,1792-1857) オーストリア
      

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Ich treibe auf des Lebens Meer,
Ich sitze gemut in meinem Kahn,
Nicht Ziel,noch Steuer,hin und her,
Wie die Strömung reißt,wie die Winde gahn.

Eine selige Insel sucht der Wahn,
Doch eine ist es nicht.
Du lande gläubig überall an,
Wo sich Wasser an Erde bricht.

私は人生という海のまにまに漂う、
気力漲りわが小舟に腰を下ろしている、
行き先も舵もなく、あちらこちらへと、
流れの向かうまま、風の吹くまま。

妄想は幸福の島を探すが、
そんなものはありはしない。
おまえは信用して舟をつけるがいい、
水が大地に砕け散るところならどこでも。


オーストリアのティロール出身のヨーハン・クリソストモス・ゼン(Johann Chrysostomos Senn: 1795.4.1,Pfunds,Tyrol - 1857.9.30,Innsbruck)はシューベルトの友人であった。
ゼンは1808年から13年までヴィーンのコンヴィクトで学び、そこでシューベルトと知り合った可能性がある。
彼は父親から政治的な思想の影響を受けた。
ゼンとシューベルトの関係が特に親密になったのは1818年のことで、その年の手紙でシューベルトはシュパウン、ショーバー、マイアホーファーと共に親友としてゼンの名前を挙げている。
ゼンとシューベルトはしばしば酒を酌み交わした。
1820年3月にはたまたまゼンと共にいたシューベルトが巻き添えをくらい、警察に連行された。
大学生によるコッツェブー暗殺事件以降、結社の類は警察に目をつけられ、ゼンもその種の嫌疑をかけられたのである。
シューベルトはすぐに解放されたが、ゼンは14ヶ月もの間拘留され、その後故郷のティロールに追放された。
しかし、その後もシューベルトのゼンに対する友情は変わらず、ブルッフマン経由で入手したゼンの詩2編(「幸福の世界D743」「白鳥の歌D744」)に1822年に作曲したのである。
これらの詩には検閲にひっかかるような思想があからさまに書かれてはいないようだが、ゼンの詩に作曲するという行為自体が危険を伴うものであったことは充分想像できる。
政治的ではなかったと言われるシューベルトが、危険をおかしてまでも親友への変わらぬ忠誠を作曲、出版という形で示したのは、友人たちとの交流を大切にしてきたシューベルトらしいと言えるかもしれない。
「幸福の世界」は「冬の旅」の「勇気を」との類似を指摘されることのある急速なテンポの力強い作品で、全21小節で1分に満たないほどだが、声とピアノがユニゾンで進み、人生という海に翻弄されながらも信頼して流れに身を委ねるがいいと歌う。
変イ長調、4分の4拍子、標示は「速すぎずに(Nicht zu schnell)」。
歌の音域は最高音が2点変ホ音、最低音がロ音で、12度ほどの広さである。

F=ディースカウ&ムーアの全集での録音(DG: 1969年3月録音)が圧巻。
クルト・モル(Kurt Moll)&コルト・ガーベン(Cord Garben)の演奏(Orfeo: 1982年2月録音)も良かった記憶がある。

( 2008.09.01 フランツ・ペーター )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ