Stantsy Op.46-4 Chetyre romansa na slova A. Pushkina |
スタンザ プーシキンの詩による4つのロマンス |
Brozhu li ja vdol’ ulits shumnykh, Vkhozhu l’ vo mnogoljudnyj khram, Sizhu l’ mezh junoshej bezumnykh, Ja predajus’ moim mechtam. Ja govorju: promchatsja gody, I skol’ko zdes’ ne vidno nas, My vse sojdem pod vechny svody - I chej-nibud’ uzh blizok chas. Gljazhu l’ na dub uedinennyj, Ja myslju: patriarkh lesov Perezhivet moj vek zabvennyj, Kak perezhil on vek ottsov. Mladentsa l’ milogo laskaju, Uzhe ja dumaju: prosti! Tebe ja mesto ustupaju: Mne vremja tlet’,tebe tsvesti. Den’ kazhdyj,kazhduju godinu Privyk ja dumoj provozhat’, Grjadushchej smerti godovshchinu Mezh nikh starajas’ ugadat’. I gde mne smert’ poshlet sud’bina? V boju li,v stranstvii,v volnakh? Ili sosednjaja dolina Moj primet okhladelyj prakh? I khot’ beschuvstvennomu telu Ravno povsjudu istlevat’ No blizhe k milomu predelu Mne vse b khotelos’ pochivat’. I pust’ u grobovogo vkhoda Mladaja budet zhizn’ igrat’ I ravnodushnaja priroda Krasoju vechnoju sijat’. |
賑やかな通りを歩きまわる時も 混雑した寺院の中に入る時も 若者たちが座って大騒ぎしている時でも 私はひとり夢想にふける 私は語る:年月は流れゆく ここにいる私たちの多くも消え去る 私たちはみな墓の下へと永遠に去っていくのだ ある者にはその時はとても近いのだ そびえ立つカシの木を仰ぎ見て 私は考える:年老いた森は 私が忘れ去られた後も生き続けるのだろう ちょうどご先祖様たちの時代から生き続けてきたように 可愛い幼な児をあやす時は 私は思うのだ:さらば!と お前に私はこの席を譲ろう 私は凋む時だ、お前は花咲くが 毎日、毎時間 私は思いに耽るようになった 来るべき死の記念日が いつ来るのかと予想しながら どこで運命は私に死を送るのだろうか? 戦いの中か、放浪のさなかか、波の中か? それとも近所の谷間だろうか 私の冷たい亡骸を受け入れるのは? もはや何も感じない体が どこで朽ち果てようと同じことではあるが しかし1マイルでも故郷の近くに 私はこの身を休ませたい そして我が墓の入り口では 若い命たちに遊び興じさせよ 何事にも動じない大自然に 永遠の美しさを輝かせよ |
プーシキンの詩による歌曲の最終曲。叩きつけるような力強くも長大なピアノの前奏に続いて重々しく始まりますが、やがて感情の昂ぶりとともに音楽は速くなり「そびえ立つカシの木を眺め」のところでは飛び跳ねるようなリズムと共に急き立てるような歌へと変わります。そして「お前にこの席を譲ろう」のところでほっと安らぐ表情を見せたのも束の間、また冒頭の重苦しい音楽が再現してきて、そしてそのまま暗く陰鬱に曲を終えます。確かに最後の「若い命たちに遊び興じさせよ」のところでは「若い君に席を譲ろう」で出てきた安らぎのメロディに似た雰囲気が再現されているのではありますが、ここではなぜか仄暗い色合いをまとっていて、私には決して幸福に幕を閉じたようには感じられませんでした。
Stantsyというのは詩の4行連などの構成単位のこと、プーシキンの原詩にはないようですので作曲者があとから付けたのでしょうか。詩は1829年の作とのことですのでプーシキンがまだ30歳の時。まだ当人もよもや30代半ばで死を迎えるとは予感もしていなかった時期だと思いますのでこの詩がどういう意図を持って書かれたものなのかは少々謎です。そして非常に興味深いのはショスタコーヴィチがこの詩に曲を付けたのも、1936年ということであればプーシキンがこの詩を書いたのと同じ年齢のときになります。
この年齢で、この詩のテーマのどこに惹かれたのか、30歳のころはのほほんととっくに過ぎてしまった私にはもうこの2人の天才の境地など知るべくもありませんが、共に理不尽な迫害を受けていたがゆえの共感のなせる業なのでしょう。
( 2008.08.30 藤井宏行 )