Vozrozhdenie Op.46-1 Chetyre romansa na slova A. Pushkina |
復活 プーシキンの詩による4つのロマンス |
Khudozhnik-varvar kist’ju sonnoj Kartinu genija chernit I svoj risunok bezzakonnyj Nad nej bessmyslenno chertit. No kraski chuzhdye s letami Spadajut vetkhoj cheshuej; Sozdan’e genija pred nami Vykhodit s prezhnej krasotoj. Tak ischezajut zabluzhden’ja S izmuchennoj dushi moej, I voznikajut v nej viden’ja Pervonachal’nykh,chistykh dnej. |
野蛮人の絵描きが夢うつつで筆を動かし 天才の描いた絵を塗りたくって 自分勝手なめちゃくちゃな模様を その上にデタラメに描いている だが異質の絵の具は年月が経って 古びた鱗のように剥がれ落ち 天才の創造物はわれわれの前に かつての美しさを取り戻す このようにして誤解は消え去るのだ 私の魂を苦しめた誤解は そして私に見せてくれるのだ 原初の、真実の日々を |
ロマンティックな恋愛詩がロシア歌曲のテーマとして選ばれることが圧倒的に多いプーシキンにしては、非常に熱いメッセージ性を持つ詩をショスタコーヴィチは選んできています。ちょうどこの歌曲集を手がけた時の彼は、彼の野心作オペラ「ムツェンスクのマクベス夫人」に対してスターリン下で1929年に行われたプラウダ紙上における批判によって作曲家生命が絶たれようかという危機にありました。そこであんまりこういう露骨な詩を選んで歌曲にするのはかえって言いがかりがついてマズイんではないかと小心者の私なぞは思ってしまうのですが。芸術を政治的にどうにかしようといかがわしいことをしても、年月が経てば真実はまた万人の前に現れるのだ、という信念。これはこの詩を書いたプーシキンもまたニコライ1世下で様々な迫害を受けてきたことを思い起こしても同じ気持ちであったのでしょう。またツヴェターエワの詩による歌曲の中にもこのプーシキンの葬送を扱った詩をショスタコーヴィチがわざわざ選んでいることもまた興味深い連関として言及しておきたいと思います。
そしてまたこの曲を嚆矢として、彼はその後も秘められたメッセージのような歌曲を次々と書いていったのはこのサイトでもご紹介してきた通りです。この歌曲集はもともと詩人の没後100周年を1937年に控えて書かれたものだったのだそうですが、もともと全部で12曲の予定がこのときは4曲のみの完成、のちに作品96の4つのモノローグで更に4曲、そして病のために1曲しか残されませんでしたが作品128の「春よ 春よ」と全部で9曲が彼の手になるプーシキンの詩による歌曲として残っています。
この曲はほとんど黙殺されているかの感のある彼の歌曲作品の中では珍しくショスタコーヴィチおたくと言われる方々の間でも話題となることの多い作品です。それはなぜかと言いますとこの歌曲集の次に書かれた交響曲第5番の最終楽章、クライマックスに至る直前にタメを作る部分で現れてくるハープに現れてくるメロディーがこの歌曲の第3節のピアノ伴奏で聴かれるメロディーと一緒なこと、そしてこれはかなり無理やりのような気もしなくもありませんが、あの最終楽章の冒頭主題とこの歌の歌いだしの最初の3つの音が同じであることが深読み好きなファンの興味をくすぐるということもあるのだと思います。
つまりあのスターリン賞を取った彼の名誉挽回の傑作の中で実は批判者に対して一矢報いていたのだ、と。
冒頭の重苦しい音楽が、最後にまた原初の真実の姿が立ち現れてくるところでは安らぎに満ちた美しい音楽にと変わり、交響曲でも見事に使われているピアノのメロディと絶妙に絡み合って終わるところなどは見事です。この曲には彼自身の手になる管弦楽伴奏のバージョンもあり、これもまた興味深い作品です。
( 2008.08.30 藤井宏行 )