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Gretchen im Zwinger/ Gretchens Bitte   D 564  
 
外壁の内側に沿った小路にいるグレートヒェン/ グレートヒェンの祈り  
    

詩: ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832) ドイツ
    Faust Teil 1(ファウスト 第1部 1806) 21.Zwinger (壁際の小道) Ach neige,Du Schmerzenreiche

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Ach neige,
Du Schmerzenreiche,
Dein Antlitz gnädig meiner Noth!

Das Schwert im Herzen,
Mit tausend Schmerzen
Blickst auf zu deines Sohnes Tod.

Zum Vater blickst du,
Und Seufzer schickst du
Hinauf um sein' und deine Noth.

Wer fühlet,
Wie wühlet
Der Schmerz mir im Gebein?
Was mein armes Herz hier banget,
Was es zittert,was verlanget,
Weisst nur du,nur du allein.

Wohin ich immer gehe,
Wie weh,wie weh,wie wehe
Wird mir im Busen hier!
Ich bin,kaum alleine,
Ich wein',ich wein',ich weine,
Das Herz zerbricht in mir. (註1)

ああ 悲しみ多きマリア様
御顔を慈悲深く
私の苦しみに傾けてください

御胸には剣を刺され
数えきれぬほどの悩みを抱えられ
御子の死を見上げていらっしゃる

あなたは天の父をご覧になり
嘆きのため息を送られています
天高く 御子とあなたの苦難のため

他に誰が感じてくれましょう
どんなに
この苦しみが 私の全身をかき乱すかを
私の哀れな心がここで何を不安に感じ
何に震えおののき 何に憧れるかを
知るのはあなた あなただけ

何処へ私が行っても
胸のここが どんなに辛く
どんなに辛く どんなに辛くなるか
私は ひとりになるとすぐに
泣いて 泣いて 泣いて
心は張り裂けるのです


 シューベルトによる断片D 564(1817)はここ第5節までで、後にベンジャミン・ブリテン Benjamin Britten (1913 - 1976) が残り第6-8節を完成しました。『ファウスト 第1部』では「外壁の内側に沿った小路Zwinger」というひとつの章となっていますので、他の部分をハンブルク版のテキストから引用しましょう(註2)。なお ''Zwinger''がわかりにくいので、説明的な訳にしています。まずこの詩の前の部分には次のようなテキストがあり、

壁のくぼみに受苦聖母像があり、その前には花瓶が置かれている。
  In der Mauerhöhle ein Andachtsbild der Mater dolorosa,Blumenkrüge davor.

次の行の二つ目の文から詩が始まります。

グレートヒェンは花瓶の中に摘んだばかりの花を差し込む。 ああ
悲しみ多きマリア様
……
Gretchen steckt frische Blumen in die Krüge. Ach neige,
Du Schmerzenreiche,
……

次に第6-8節を引用しましょう。

窓辺の植木鉢を Die Scherben vor meinem Fenster
涙で濡らしました ああ Betaut' ich mit Tränen,ach,
私が朝早く Als ich am frühen Morgen
あなたに捧げるこの花を折った時に Dir diese Blumen brach.

朝早く太陽が昇って Schien hell in meine Kammer
明るく私の部屋を照らした時 Die Sonne früh herauf,
私は悲嘆にくれて Saß ich in allem Jammer
もうベッドに座っていました In meinem Bett schon auf.

助けてください 恥辱と死から救ってください Hilf! rette mich von Schmach und Tod!
ああ悲しみ多きマリア様 Ach neige,
御顔を慈悲深く Du Schmerzenreiche,
私の苦しみに 傾けてください Dein Antlitz gnädig meiner Not!


 グレートヒェンに関するこれまでの話は、「糸を紡ぐグレートヒェン」のページを参照して下さい。その後とこの詩の背景について述べたいと思います。以下( )内は『ファウスト』の行を表します。
 敬虔で清純、兄ヴァレンティンの自慢だったグレートヒェンは、ファウストに恋をし、彼のためなら何でもすると言って母に睡眠薬を飲ませ(3511-3514行)、ファウストとの愛欲に燃えてしまいました。以前、よその娘が過ちを犯した時には、その娘を非難し、偉そうにしていたグレートヒェンが 、今では罪に晒されています(3577-3584行)。ファウスとの甘美な時間は、ことばに尽くせぬほど幸せでしたが(3585-3586行)、今では誰もが、兄にまで当てこすりをするようになりました。当時、間違いを犯した娘は、罪の肌着一枚になって教会で懺悔しなければなりませんでした(3568行)。不品行による恥に加え、グレートヒェンの母は、彼女の与えた睡眠薬で死んでしまい(3788行)、彼女の胎内にはファウストの子どもがいます(3790-3793行)。仮に結婚できたとしても、婚前に出産した娘が結婚する時には、若い男たちが花冠を引きちぎり、娘たちは戸口の前に刻んだ藁を撒く習慣がありました(3575-3576行)。 恥辱と苦しみに耐えきれぬグレートヒェンは、眠れぬ夜を過ごし、涙で濡らした窓辺の鉢から花を折り、受苦聖母像に祈りを捧げます。それがこの章です。
 この詩は、韻律が興味深く、各節によりへーブング(強音)の数、詩行の数、脚韻形式がさまざまで、そのことによって動揺が表されています。際だった特徴は脚韻の枠です。第1-3節は3行詩節で、それぞれ第1-2行が対韻を踏み、さらに各第3行が 「苦しみ」Not,「死」Tod,「苦しみ」Not で押韻します(註3)。そして同語で最後の節第1行「死」Tod と最後の行「苦しみ」Not が抱擁韻を踏み、 [Not  Tod  Not]  [Tod  Not ] すなわち、<グレートヒェンの苦しみ><御子イエス・キリストの死><イエスと聖母の苦しみ><グレートヒェンの死><グレートヒェンの苦しみ>という枠が形成されます。第4-5節は、各6行詩節ですが、第1-3節と同様、前半後半でそれぞれ対韻を踏んでは、前半と後半各3行目(第4節はGebein と allein、第5節はhier とmir)で押韻しており、各冒頭に摩擦音 “W” が多いことにも、グレートヒェンの苦しみや困難が表れています。韻律がグレートヒェンの苦しみをいかに表すか、それによって韻律が詩においていかに大切かがわかる詩のひとつだと思います。
 『新シューベルト全集』では「外壁の内側に沿った小路にいるグレートヒェン」Gretchen im Zwinger 、ペータース社のフリートレンダー版では「グレートヒェンの祈り」Gretchens Bitte で掲載されています。詩句の「傾けて下さい」「悲しみ多きマリア様」「慈悲深く」に表れる順次下行形の旋律には、祈りのために頭を下げるグレートヒェンの様子が描かれ、ピアノに目立つ数多くの細かい休符には、彼女の苦しい吐息が表れています。未完成とはいえ、悲しみを湛えた美しい旋律は、詩句内容と一体で、第5節まで歌ったものの、あとはもう、悲しみと涙で歌うことができないという解釈による演奏も可能と思われます。


1) Schubert,Franz: Lieder. Bd.V. Nach den ersten Drucken Revidiert von Max Friedlaender. Frankfurt usw.(C. F. Peters) o.J.,S.166ff.
2) Goethe,Johann Wolfgang von: Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Bd.3. Dramatische Dichtungen I. Textkritisch durchgesehen und kommentiert von Erich Trunz. München ( Deutscher Taschenbuch Verlag).1998,S.114f.
3) ここでは現代の正書法にしたがい、''Not''と書きます。1876年に第1回正書法会議が開かれるまで、正書法は定まっていなかったのですが、ゲーテの時代にtの後に h を入れる人が多かったのは確かですね。たとえば『冬の旅』Winterreiseの「勇気」''Mut'' も、1994年に出版されたライストナー編『ミュラー著作集』以外、シュヴァープGustav Schwab 編 『ミュラー著作集』(1830)、『ミュラー詩集』(1837)、マックス・ミュラーMax Müller 編 『ミュラー詩集』(1868) 、ハットフィールドJames Taft Hatfield 編『ミュラー詩集』(1906)といった主要なミュラー詩集もすべて''Muth!''で、シューベルトの自筆ももちろん''Muth''です。『ファウスト』では、手元にあるハンブルク版とミュンヘン版は''Not''、ヴァイマール版が''Noth''なのですが、ヴァイマール版では、たとえば最後の行のテキストが異なっているため、なるべくペータース社の楽譜に近いと思われるハンブルク版のテキストを選んだ結果、詩の引用は''Not''となり、綴りを統一することができませんでした。
(訳 2003年4月20日、その他の記述 2008年8月24日 渡辺美奈子)

( 2008.08.28 渡辺美奈子 )


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