Der König in Thule Op.5-5 D 367 |
トゥーレの王 |
Es war ein König in Thule, Gar treu bis an das Grab, Dem sterbend seine Buhle Einen goldnen Becher gab. Es ging ihm nichts darüber, Er leert' ihn jeden Schmaus, Die Augen gingen ihm über, So oft er trank daraus. Und als er kam zu sterben, Zählt' er seine Städt' im Reich, Gönnt' alles seinem Erben, Den Becher nicht zugleich. Er saß beim Königsmahle, Die Ritter um ihn her, Auf hohem Vätersaale, Dort auf dem Schloß am Meer. Dort stand der alte Zecher, Trank letzte Lebensglut, Und warf den heilgen Becher Hinunter in die Flut. Er sah ihn stürzen,trinken Und sinken tief ins Meer, Die Augen täten ihm sinken, Trank nie einen Tropfen mehr. |
昔々トゥーレに王様がいました 本当に墓場まで誠実な王様でした お后は亡くなる時 王様に 金の杯をあげました 王様にとってこの杯以上のものはなく 宴会の度に その杯で飲んでいました 王様の眼から涙が流れました その杯から飲む度に 死が近づいてくると 王様は王国の都市を数え 世継ぎに全てを与えましたが その杯は別でした 王様が催す宴会の席で 騎士たちは王様を囲んでいました 高い 代々の王の広間で 海辺のお城の上で 年老いた王様は酔ってそこに立ち 最後の命の炎を飲み干し その聖なる杯を 深く波の中へと 投げました 王様は 杯が落ちて水を吸い込み 海の中深く沈んでいくのを見ました 王様の眼は閉じ もはや一滴も飲むことはありませんでした |
ゲーテは1771年にシュトラスブルク(ストラスブール)でフリーデリケFriederike Brion (1752-1813) と別れ、彼女を捨てた罪悪感に耐えていました。『ファウスト』のマルガレーテ Margarete(愛称グレートヒェン Gretchen)には、このフリーデリケと、1772年フランクルフルト・アム・マインで、不義の子の殺人のために公開処刑されることとなったマルガレーテ・ブラントSusanna Margarethe Brandtが投影されていると言われます。その1年後1773年には、すでに『ファウスト』が書き始められていることがわかっており、「トゥーレの王」は1774年6月には成立しています。ゲーテは1774年に、有名な教育学者バーゼドウJohann Bernhard Basedow (1724-1790 ヴィルヘルム・ミュラーの妻アーデルハイトAdelheit の祖父) とラーヴァター Johann Caspar Lavater (1741-1801 チューリヒで神学を学んだ著作家で後に牧師となる人) とともにライン地方を旅しました。『詩と真実』Dichtung und Wahrheit (1808-1831) 第14章に、その時の様子がに詳しく書かれています。ゲーテは「新作で最も気に入っているバラードの朗読を申し出」、その時好評を得た作品のひとつが「トゥーレの王」と述べていますので(註1)、「トゥーレの王」は、当時ゲーテが最も気に入っていた作品のひとつだったことがわかります。
第2節第3行「王様の眼から涙が流れました」''Die Augen gingen ihm über,''は、ルター訳聖書「ヨハネによる福音書」11章35節 「イエスの眼から涙が流れました」''Und Jesus gingen die Augen über.''(註2)の表現をゲーテが使用したもので、この行と、最後から二つ目の行「王様の眼は閉じ」''Die Augen täten ihm sinken ''が関連づけられています(註3)。''taten…sinken'' ではなく''täten…sinken''という表現は、ゲーテ時代の日常会話、特に故郷フランクフルトで使われていた古い形だったようです(註4)。「眼」を主語としたこの表現は、第2節第3行と関連しており、この詩の中でもとりわけ印象的で、深い感動を呼ぶところです。
詩の韻律は3ヘービッヒ(1行中の強音の数が3)、アウフタクトを持ち、交差韻で奇数行は2音節の女性韻、偶数行は1音節の男性韻で、?め(へーブング間のゼンクングの数)の自由があります。このような詩節は一般に民謡詩節と呼ばれるものです。ゲーテは、ヘルダー Johann Gottfried Herder (1744-1803) の影響で、民謡や民間のバラードのような作品を作っていました。「トゥーレの王」には「昔々トゥーレに王様がいました」という表現や、”Buhle” (恋人)ということばを民謡から得て使用したことなどに、民謡的な要素が表現されています。
ここで、詩の背景を知るために、『ファウスト』において「トゥーレの王」までの筋を簡単に概観してみましょう。悪魔メフィストーフェレスMephistopheles は、老教授ファウスト Faust に、ファウストがある瞬間に対し「留まれ、お前はいかにも美しい」と宣言したなら、メフィストーフェレスがファウストの魂を要求してもよいという条件で、ファウストに若者の生活を与えるという契約を交わします。若返ったファウストは騎士の身なりをし、純粋で敬虔な乙女マルガレーテに会い、彼女を誘惑しました。 マルガレーテは毅然とした態度で誘いを断ったものの、今日声をかけてくれた素敵な男性ファウストに胸はときめき、 その憧れはやがて結婚、そして死の床まで誠実に連れ添って欲しいという強い望みへと変わっていきます。詩の少し前の部分を訳しましょう。
Abend
夕方
Ein kleines reinliches Zimmer.
ある小さくて清楚な部屋
Margarete ihre Zöpfe flechtend und aufbindend.
マルガレーテは下げ髪を編み、上に結びつけながら
今日のあの方が誰であったか知ることさえできたなら
私それと引き換えに何かあげてもいいわ
あの方は 本当にご立派な方に見えたし
高貴な家柄の出でいらっしゃるのだわ
あの方の顔から読み取れたわ ―
そうでなければあんなに大胆でいらっしゃれなかったでしょう 退場
Ich gäb' was drum,wenn ich nur wüßt',
Wer heut der Herr gewesen ist!
Er sah gewiß recht wacker aus,
Und ist aus einem edlen Haus;
Das konnt' ich ihm an der Stirne lesen ―
Er wär' auch sonst nicht so keck gewesen. Ab.
その後ファウストとメフィストフェレスがマルガレーテの部屋の中に入り、箪笥の中に宝石箱を入れて退場し、再びマルガレーテがやってきます。マルガレーテは、中に人がいたことを蒸し暑さで感じているようです。
明かりを手にしたマルガレーテ ここはなんて蒸し暑くて息苦しいのかしら
Margarete mit einer Lampe. Es ist so schwül,so dumpfig hie,
(彼女は窓を開ける)
(sie macht das Fenster auf)
外は今そんなに暑くないのに
なんだか訳が分からなくなりそう ―
私 お母さんに帰ってきて欲しいのかしら
全身が身震いするわ ―
私って何て愚かで恐ろしい女なのかしら
(彼女は服を脱ぎながら歌い始める)
Und ist doch eben so warm nicht drauß.
Es wird mir so,ich weiß nicht wie ―
Ich wollt',die Mutter käm' nach Haus.
Mir läuft ein Schauer übern ganzen Leib ―
Bin doch ein töricht furchtsam Weib!
sie fängt an zu singen,indem sie sich auszieht.
グレートヒェンは古くから伝承され、慣れ親しんできた民謡を口ずさむという設定で「トゥーレの王」を歌うのですが、服を脱ぎながら歌うこと、さらにその前の「お母さんに帰ってきて欲しいのかしら」といったせりふに、結婚の意識とともにすでに肉体的な願望が表れており、そのことが、誠実な愛の歌の背後で、後の悲劇を予測させているように思えます。
この詩は、ツェルター Carl Friedrich Zelter (1758-1832) の作曲 (1811) が有名で、民謡としても知られ、さらにメンデルスゾーン Felix Mendelssohn Bartholdy (1809-1847) が、この旋律を彼の交響曲第4番「イタリア」(1832-33) 第2楽章に借用したことも、ゲーテとツェルターが亡くなった年に成立しただけに(全曲完成は1833)深い感動を呼びます。
シューベルトは、1816年にこの詩に作曲しました。彼は2節をひとつのまとまりとし、奇数節は2行ずつ同じ旋律を繰り返し、偶数節は各行異なる ababcdef という構造により、同じ旋律を3度繰り返すというやり方で作曲しました。古風な旋律に装飾音が加わり、一見するとバロック調の難しさが感じられるかもしれませんが、音域はツェルター同様1オクターヴ以内におさめられており、繰り返される音楽とともに、詩の民謡らしさが表れています。このリートは、「たゆみなき愛」Rastlose Liebe D 138、「恋人の近くに」Nähe des Geliebten D 162、 「漁師」Der Fischer D 225、「最初の喪失」Erster Verlust D 226 とともに、1821年に作品5として出版され、恩師サリエリ Antonio Salieri (1750-1825) に献呈されました。
註
シューベルトのリートにおける詩の引用はFranz Schubert. Neue Ausgabe sämtlicher Werke. Hrsg. von der Internationalen Schubert-Gesellschaft. Kassel,Basel,Tours,London (Bärenreiter-Verlag) 1967- . Serie IV. Lieder: Vorgelegt von Walther Dürr. Bd. 1 Teil a 1970 ,S.45.
それ以外の引用はGoethe,Johann Wolfgang von: Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Bd. 3. Text kritisch durchgesehen und kommentiert von Erich Trunz. München (C. H. Beck'sche Verlagsbuchhandlung) 16. durchgesehene Aufl. 1996,S. 88f. 以下HA.
1) HA. 10-34.
2) Die Heilige Schrift. Die Bibel oder die ganze heilige Schrift des Alten und Neuen Testaments. Nach der deutschen Übersetzung Martin Luthers. (National Publishing Company) 1967,S.967.
3) HA.3-554.
4) Ebd.
(訳、記述 2003年2月24日 加筆2008年8月24日 渡辺美奈子)
( 2008.08.28 渡辺美奈子 )