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Mut   Op.89-22 D 911  
  Winterreise
勇気を出せ  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 23 Mut

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Fliegt der Schnee mir ins Gesicht,
Schüttl' ich ihn herunter.
Wenn mein Herz im Busen spricht,
Sing' ich hell und munter.

Höre nicht,was es mir sagt,
Habe keine Ohren.
Fühle nicht,was es mir klagt,
Klagen ist für Toren.

Lustig in die Welt hinein
Gegen Wind und Wetter;
Will kein Gott auf Erden sein,
Sind wir selber Götter!

雪が顔に当たるなら
払い落としてやろう
胸の内で心が訴えるなら
明るく陽気に歌ってやろう

聞くな 心の言うことを
少しも耳を貸すんじゃない
気にするな 心の嘆きを
嘆きは愚者のすることだ

朗らかに世の中へ出て行こう
風と嵐に逆らって
この世に神がおられぬのなら
僕らが神になってやれ!


「旅籠」で死を思い止まり、気を取り直して再び旅立つ主人公。それをあざ笑うかのように、風が雪を顔にぶつけてきます。ことさらに言い立てる第二連、第三連は、死を思い止まったといっても、決して苦悩が和らいだわけではないことを反語的に強く訴えています。最後の誇大妄想的発言が象徴する、主人公には出来もしないことを並べ立てた、躁状態とも言える空しい勇気の表明でしょう。そして次の「幻日」では、案の定一気に落ち込んでしまいます。同じ精神状態の躁と鬱の表裏ともいえる「勇気を出せ」と「幻日」は、ミュラーの順序では前後関係が逆でしたが(位置的には連続しているわけではない)、シューベルトの構成では「旅籠」の後となるこの二篇を入れ替え、「ならば進もう ただ進むのみだ 僕の誠実な旅の杖よ」にこの詩を繋げたのは非常に効果的処置と思います。

第二連は普通主語のichを省略した形に解釈されていますが、ここでは命令形に近づけて訳しました。この詩集に何度か出てきた、第三者的な語りかけの形で、自分を鼓舞していると読んだのですが、こうすると第三連に突然現れる謎の「僕らwir」の解決が図れます。もちろんそれは自分自身と、それを第三者的に見る自分ということです。

タイトル”Mut”は、ミュラーの原詩では感嘆符がついて”Mut!”でした。「勇気を!」ということになり、命令形のニュアンスがあります。これは第二連を命令形にすることの依拠のひとつとなるでしょう。その訳を感嘆符無しの「勇気を」にすると少し弱いので、意訳で「勇気を出せ」としました。わたしはこれまで、シューベルトによる歌詞の感嘆符省略は、楽譜の指定以外でその部分を強調されるのを恐れてのことではないかと推測していたのですが、タイトルでも行っているとなるとその見方は崩れます。

それにしてもこの最後の二行の発言は、程度はともあれ、反キリスト教的と読まざるを得ないと思いますが(註1)、タイトルにあった妥当とも思われる感嘆符さえ省略するシューベルトが(第三連二行目にもあったのを省略)、珍しくこの終わりには元々原詩にない感嘆符を加え、第三連をmf→fで繰り返しているのは注目されます。むしろミュラーがここに感嘆符をつけなかったことが意外にも思われますが、検閲のことを考えると一番問題になりそうなところなので、多少遠慮したのかもしれません。

この詩につけられたシューベルトの音楽に大変面白い解釈があります。歌の後にピアノの合いの手が入る形が、教会の司祭と会衆の交唱(アンティフォナ)を描いているというのです(註2)。その是非はともかく、そう思って聞いてみるとこの歌は大変面白く、ゼレチュ滞在時に書いた兄宛の手紙に書かれたエピソードでも思い出していたのではないかと考えるのも楽しいでしょう(註3)。

註:

1)ミュラーは『冬の旅』の実体験となった旅をする前のブリュッセル時代、反キリスト教・無神論者を宣言するソネットを書いている。「僕は神を否定する―もうあとには引けない、/僕をとにかくおまえたちのリストから消してくれ、反キリスト者として、無神論者として」(渡辺美奈子「『冬の旅』の根底にあるもの――ヴィルヘルム・ミュラーのベルリン、ブリュッセル時代――」 『ゲーテ年鑑』第48巻所収 (日本ゲーテ協会)87頁)。
但し、同論文によれば、ミュラーはベルリン帰還後に敬虔な信者であったルイーゼ・ヘンゼルを愛するようになってからキリスト教世界に戻り、自らの無神論時代を反省している(同93-94頁)。『冬の旅』が書き始められたのは、その恋も破れてから5年後の、幸せな結婚をして後のことである(同91頁)。

2)エリカ・ボリースによる。参考サイト:
・渡辺美奈子  「宿」で暗示されたキリスト教批判 2008. 
http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/wirtshaus.htm#antichrist

3)シューベルトはゼレチュ滞在時、1818年10月29日付けの兄への手紙に当地の教会と信者への批判を書いている。
「(前略)兄さんには想像もつかないだろうナ、ここの坊さんときた日には、老いぼれた駄馬みたいに偽善者で、ロバの親方みたいにバカで、水牛みたいにガサツな連中ばかりなのだ。お説教を聞いていると、あの悪徳に骨まで染まったネポムツェーネ神父でもまったく顔色なしというくらいヒドイものだ。祭壇の上には道楽者や非行少年どもがワンサカひしめいていて、この連中に思い知らせてやろうとするなら、死人の頭蓋骨を持ってきて祭壇の上に突き出して、こう言ってやるしかない。罰当たりのチンピラめ、おまえたちもいつかはこういう風になるんだよってネ。さもなければ、こういってやるか。おい、あそこへいく若僧は、女の子と宿屋に入っていって、一晩中踊り明かした末に、ベロベロに酔っ払って二人で寝てしまうが、明日の朝は三人で目を覚ますことになるってネ。」 〜「シューベルトの手紙」O.E.ドイッチュ編 訳・解説 實吉晴夫(メタモル出版)69ページより引用
また、シューベルトは6曲作曲したミサ曲の典礼文の全てで、「一・聖・公・そして使徒継承の教会を信じ」の行を省略していることが知られている。

( 2008.08.22 甲斐貴也 )


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