Der Wirtshaus Op.89-21 D 911 Winterreise |
旅籠(はたご) 冬の旅 |
Auf einen Totenacker Hat mich mein Weg gebracht, Allhier will ich einkehren, Hab' ich bei mir gedacht. Ihr grünen Totenkränze Könnt wohl die Zeichen sein, Die müde Wandrer laden Ins kühle Wirtshaus ein. Sind denn in diesem Hause Die Kammern all' besetzt? Bin matt zum Niedersinken, Bin tödlich schwer verletzt. O unbarmherz'ges Schenke, Doch weisest du mich ab? Nun weiter denn,nur weiter, Mein treuer Wanderstab. |
僕の辿った道は ある墓地に通じていた ここを宿にしたいと 心ひそかに考えた 緑の弔いの輪よ お前達は疲れた旅人を 冷たい旅籠に誘う 目印なのかもしれない この家の部屋は全部 塞がっているのですか 僕は疲れて倒れそうなのです 瀕死の傷を受けているのです おお 慈悲を知らぬ酒亭よ それでも去れと言われますか ならば進もう ただ進むのみ 僕の誠実な旅の杖よ |
主人公が死に場所を求めて歩いた道の先には墓地がありました。眼の前に開けた墓場の風景に主人公は不吉よりも安らぎを覚え、そこを「宿にしたい」と考えます。そこで夜を明かそうということなら、極寒の真冬において凍死は必定となります。
樅の枝などで作る弔いの輪が複数緑を保っているということは、廃墟などではなく実際に使用されている墓地であり、当時のことを考えると教会の中庭か隣接した敷地であるはずです。ということは街道から離れた村などにたどり着いたことになるでしょう。
教会墓地を、居酒屋と宿屋を兼ねる旅籠に喩えるのは非常にユニークな発想と思いますが、心身ともに癒される場ということでしょうか。この曲の対訳ではWirtshausを「宿屋」としているものが多いですが、居酒屋との兼業をより明らかにできる「旅籠(はたご)」にしました。特に第四連では旅籠(Wirtshaus)を酒亭(Schenke 居酒屋)と言い換えており、そこで酒が提供されていることへのミュラーのこだわりが感じられます。
この物語の下敷きになったと考えられるミュラーの実体験は、ドイツの新酒の季節である11月に始まっています。当時の街道沿いにたくさんあった旅籠では、その季節には緑の輪を軒先に飾って新酒の入荷を示したそうですが(旅の季節ではないので、旅人より近隣の市民や農民の来店を当て込んでのもの)、ミュラーは旅の途上でそれらの旅籠に宿泊したり、新酒を飲んだりもしているはずです。そのベッドと新酒で旅の疲れを癒した記憶と、時にはそれを当てにしてやっとたどり着いた旅籠で、満室のため宿泊を断られた辛い経験が、この詩に反映されていると想像するのも一興でしょう。また、そうした街道に並ぶ旅籠の賑わいの風景が、「孤独」で主人公の疎外感を増幅する情景となっているのでしょう。
この「緑の輪」に関連して、ミュラーの作詩による「同胞愛Brüderschaft」という有名な民謡があります。現在でもドイツでは良く知られた歌ですが、その詩の中に正に「緑の輪」という名の居酒屋Krug zum grünen Kranzeが出てきます。歌詞は、緑の輪という居酒屋に入ると先客がおり、その男と意気投合して酒を酌み交わすという内容です。『冬の旅』と同じミュラーの旅の実体験から生まれたとされるこの詩と、「旅籠」との関連は非常に濃厚と考えられます。
この歌を著書で紹介している三宅幸夫氏は、緑の輪が葬儀の象徴であるとして、主人公は死の世界に踏み入って死者と乾杯したと読み解かれているのですが、これはいささかうがった解釈にも思えます。ネット上でこの曲を検索すると(ミュラーの詩の題名Brüderschaftより、民謡としての題名に用いられる第一行目のIm Krug zum grünen Kranzeの方がヒットします)、この名を冠したレストランや居酒屋、歌詞を題材とした絵葉書の画像がたくさん見られますが、それらで見られる緑の枝で作られた輪は居酒屋の看板に間違いないと思うのですが。
そうした絵葉書の中には、先客が軍服を着ているものがあります。時代背景から考えて、居酒屋で解放戦争の軍人に出会い、祝杯を交わした内容と考えられ、ミュラー自身が旅の途中で義勇兵の軍装を見た市民に握手と乾杯を求められた経験があったのではないか・・・などと想像しています。もちろん、実はその男は戦死者だった、という解釈があってもかまいませんが。
話が逸れてしまいましたが、「旅籠」での主人公の対話の相手、旅籠屋らしき人物はいったい誰なのでしょうか。リアリズム的には、その墓地に入り込もうとして、墓守にでも追い払われたということになるでしょう。しかしその墓地のある村にはよそ者である自分が、その墓場に受け入れられるはずのない事など承知のはずの主人公の、内面の声との対話と考えることもできるでしょう。また、当時は墓場=教会と言っていいことを考えると、それを新酒で人々を誘い込む旅籠に喩え、慈悲が無いと責めるあたり、この詩集に散見される反キリスト教的な皮肉のひとつと考えられなくもありません。
不思議なのは、死に場所を求めて荒涼の地に向った主人公が、なぜ墓場を追われたことで死を思い止まったのか、ということです。そこでミュラーの原詩集の順序を見ると、この後には厭世的で死への志向の強い「鬼火」があり、決して思いが変わったわけでないことがことがわかります。その後炭焼き人の家に宿を得て、寒さの中命拾いしたことになりますが(旅籠=権威ある教会は無慈悲で、社会の下層の人々だった炭焼き人の慈悲に助けられるということになります)、次には愛の苦悩の詩の数々が続き、肉体的な安らぎがもたらしたのは更なる精神的苦悩であったという破目に陥ります。これらのことから、ミュラーの詩集では「旅籠」は死から生への転換点というよりも、「村で」のように主人公の疎外感を表現するエピソードであると考えられます。
「村で」で主人公は、村の家々で眠っている村人たちを揶揄していましたが、こちらでは墓場で永遠の眠りについた人々を前にしているわけで、どちらも自らが疎外された共同体であることに変わりありません。そして今度はその中に自ら入って行きたいと望み、そして拒絶される。「村で」での揶揄をイソップ寓話の『酸っぱい葡萄』の狐のようだと評する人もいますが(註1)、そのように負け惜しみをたたく気力も既に無く、本音を曝け出したところで受けるのはやはり拒絶。かろうじて保ってきたプライドも砕かれ、惨めさも極まった状態です。そして、野垂れ死にではなくちゃんと埋葬されたいのなら、新天地を求め、職を得てその共同体の一員になるしか道はないのです。
一方、シューベルトの順序では、この後には生きる勇気を奮い立たせようとするかのような「勇気」が、この箇所のみ特別に本来の順序を変更して置かれており、「旅籠」で死を思い止まって再び旅立つ、という展開になっていると思います。実際、この詩に付けられたシューベルトの音楽は、穏やかにして感動的です。一時はこれを「リンデの樹(菩提樹)」のあの名旋律のように、こよなく愛しながらも決して戻ることの出来ないところを示すものかとも考えたのですが、これが疎外を表現する音楽とは、わたしにはどうしても思えないのです。事実この曲には、「リンデの樹」の中間部のような、厳しい現実を見せ付ける音楽は出てきません。
同じミュラーの詩による前作『水車小屋の娘』の終盤では、若者の入水を思い止まらせようという小川の心優しい説得は功を奏しませんでしたが、ここに君の居場所は無い、とでも言うような墓場=旅籠の、突き放すような反応はそれに成功したとも読めるのではないでしょうか。
そして、再び旅立つ若者の手には、いつの間にやら「忠実な旅の杖」が握られています。重い荷物を背負い(「休息」)、雪の積もった悪路(当時街道は戦乱で荒れていた)を旅するのに、杖は必需品でもあり、旅立ちの当初から携えていたと考えられますが、ここに来て突然に言及されるからには何らかの意味があると見て間違いないでしょう。
主人公にとって、新天地を求めるこの旅は、失われた「愛と誠実」(註2)を求める旅であるはずです。思いを託した烏もおそらくは既に去った今(註3)、主人公に忠実なのは今や旅の杖だけ。しかしそれを哂うことなかれ。この極限状況を生き抜き、新天地にたどり着くには、前向きに生きようとする強い意思がなければ不可能です。愛の苦しみのためにくじけそうになりながらも、気を取り直して頼る心の支えは「愛と誠実」への渇望であり、それを象徴するのが旅の杖なのでしょう。
ともかくも、主人公は死を思い止まりました。若者よ、そこで眠ってはいけない、死んでしまうよ! というシューベルトの声が聞えるような気がします。若者の心の旅は今しばらく続きます。
註:
1)友人のH.M.氏による。
2)ミュラー、シューベルト研究者、渡辺美奈子さんはこの物語のキーワードを「愛と誠実」としている。
3)「カラスはどこまでついて来たか」:
「カラス」以後、最後まで再びカラスに言及する箇所はなく、ここでは誠実の象徴として新たに旅の杖を挙げていますから、カラスは既にいないという推測が成り立つでしょう。それでもカラスの不実をなじることがないのは、それが自分の勝手な思い入れであることを重々承知しているからとも考えられます。
カラスの生態からリアリズム的に考察すれば、夜は森や林のねぐらで集団で眠り、行動半径10キロ程度とされるKräheハシボソガラスが、1日の行動を始める未明に、出発地点の町付近から主人公の後をつけてきたとすると、日が沈む前に引き返したはずです。ミュラーの詩の順序を見ると、町を出てから、夜であることが明らかな「村で」までが1日の間の出来事と思われます。したがって夜の「村で」と朝の「嵐の朝」の後であり、一夜明けた翌日となっているはずの「旅籠」の時点では、カラスは既にいないと考えるのが自然ということになります。
カラスが主人公の後をつけた理由としては、主人公が「カラス」のところで言っているように、その遺体を餌にすること以外に、主人公を狩人と誤認し、獲物のおこぼれを目当てにしていたとも考えられまうす。食物の少ない冬場にカラスの取る行動として、大変理にかなった描写と言えるでしょう。
参考文献:
・渡辺美奈子「『冬の旅』の根底にあるもの――ヴィルヘルム・ミュラーのベルリン、ブリュッセル時代――」 『ゲーテ年鑑』第48巻所収 (日本ゲーテ協会)
・『菩提樹のさざめき』三宅幸夫(春秋社)
・『カラスはホントに悪者か』大田真也(弦書房)
参考サイト:
・渡辺美奈子: Noten zur Winterreise. 2008.
www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/notenzurwinterreise.htm
・「川又のweb研究室」:教会墓地にみるキリスト教受容の問題
http://toshi-k.net/list/307.htm
・「C.W.ニコルのTALK IN NATURE」〜ワタリガラス
http://www.hbc.co.jp/nicol/raven/back6.html
( 2008.08.22 甲斐貴也 )