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Der Wegweiser   Op.89-20 D 911  
  Winterreise
道標  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 16 Der Wegweiser

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Was vermeid' ich denn die Wege,
Wo die ander'n Wandrer gehn,
Suche mir versteckte Stege
Durch verschneite Felsenhöhn?

Habe ja doch nichts begangen,
Daß ich Menschen sollte scheun,
Welch ein törichtes Verlangen
Treibt mich in die Wüsteneien?

Weiser stehen auf den Wegen,
Weisen auf die Städte zu,
Und ich wandre sonder Maßen,
Ohne Ruh',und suche Ruh'.

Einen Weiser seh' ich stehen
Unverrückt vor meinem Blick,
Eine Straße muß ich gehen,
Die noch keiner ging zurück.

なぜ僕は他の旅人が
歩く道を避け
雪積む岩山を抜ける
隠れた小道を探すのか

人目を恐れることなど
何もしてはいない
なんと馬鹿げた欲求か
荒涼の地へと駆られるとは

路傍に標(しるべ)が立ち
街々の方角を指している
だが僕は憑かれたように歩く
安らぎ無く 安らぎを求め

眼前で微動だにしない
一つの標を見て佇む
往かねばならないのだ
誰も帰ったことの無い道を


 「死に至る罠」を示唆する前曲「幻惑」で鬼火らしきものの誘いに乗った主人公は、進んでいた道を外れてしまいます。精神的疲弊も極みとなり、今や求めるものは安らぎのみ。

 これまでのわたしの読みでは、主人公は無人の雪原を歩いているよりも、人里あるいはそれに近いところを歩いている場面が多いということでした。事情があって真夜中に出発はしたものの、極寒の中、死の誘惑をも振り切ってひたすら進むそれは目的地のある「旅」であって、よく言われるような当てども無い「さすらい」ではないはずだと思えるのです。しかし一方、この作品がそうした「当てども無いさすらい」という印象を与えるのもまた事実でしょう。その一因として、その成立の事情によるミュラーの原詩集とシューベルトの歌曲集の曲順の差異があると思います。  

 そこでミュラーとシューベルトの順序の比較を下記で検討してみました。曲集の分析としては単純でやや一面的ではあるのですが、ミュラーの追加が全編にほぼ均等に行われ、初稿の物語を基本とした肉付けが行われていることと、シューベルトが追加分を後半部にまとめたことが、構成を複雑化はしたものの、ミュラーの全体構想を傷つけるものではないことが読み取れると思います。

『冬の旅』における「旅」と「逸脱」

 いずれにせよ、この曲の第四連が主人公の死の決意であるのは間違いないでしょう。微動だにしない標とは、現実の標識ではなく、死出の旅立ちへの決意の象徴と思われます。
この部分で同音反復を繰り返すシューベルトの音楽は、死の誘惑に取り付かれた主人公の心情と、間近に迫る死の世界を表現して余すところがありません。ここに用いられたシューベルトの音楽技法についてはこれまで多くの分析がなされていますが、注目のミュラー・シューベルト研究家、渡辺美奈子さんが先日ご自身のHPに傾聴に値する独自の解説を掲載されました。第四連で、死を象徴する「悪魔の引き臼」が用いられた後、「ラメント・バス」で終結するところなど、意識して聴くとさらに感動的です。是非ご覧ください。

渡辺美奈子 「道標」における死と戦慄の象徴 ― 同音反復と半音階的模続進行「悪魔の挽き臼」Noten zur Winterreise. 2008

 なお「鬼火」と「休息」のところで、わたしは鬼火の導きで炭焼き小屋に着いたとも思ったのですが、これは読みが浅かったです。鬼火の誘いに乗って道を外れ、岩場に迷い込んで死にかけたところ、偶然行き当たった炭焼き人の家に宿を得て命拾いした、というのが今の解釈です。

( 2008.08.16 甲斐貴也 )


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