Gesänge des Harfners III Op.12-2 D 479 Wilhelm Meister |
竪琴弾きの歌 III ヴィルヘルム・マイスター修業時代 |
An die Türen will ich schleichen, Still und sittsam will ich stehn, Fromme Hand wird Nahrung reichen, Und ich werde weiter gehn. Jeder wird sich glücklich scheinen, Wenn mein Bild vor ihm erscheint, Eine Träne wird er weinen, Und ich weiß nicht,was er weint. |
戸口に忍び寄っては 静かに慎ましく立っていよう 敬虔な手が 糧を施したなら また歩き続けよう 誰もみな 私の姿を見れば 自分が幸せであると感じ 一粒の涙を流すだろうが 私は何故泣くのか分からないのだ |
Franz Schubert. Neue Ausgabe sämtlicher Werke. Hrsg. von der Internationalen Schubert-Gesellschaft. Kassel,Basel,Tours,London (Bärenreiter-Verlag) 1967- . Serie IV. Lieder: Vorgelegt von Walther Dürr. Bd. 1 Teil a 1970 ,S.93f.
『ヴィルヘルム・マイスター修業時代』では第5巻第14章。火事が起き、その後竪琴弾きの行方が分からなくなっていたのですが、ヴィルヘルムが園丁で考え事をしていると、誰かが悲しい歌を歌いながら忍び寄ります。ヴィルヘルムが覚えていたのは、この8行だけでした。竪琴も火事で焼けてしまったので、この歌は竪琴なしで、寂しく歩きながら歌われます。自らの不幸さえも気づかずに、糧を求めて流離う老人の姿。シューベルトは、その姿にふらつき歩くようなリズムと、悲しみに満ちた旋律を与えました。ピアノの右手が常に歌の旋律を奏でることに注目しましょう。ピアノの声部は、前奏で歌を先導し、歌が入れば1オクターヴ下の音で歌に伴います。「敬虔な手」で表されるキリスト教的な慈愛と、「一粒の涙を流すだろう」にこめられた憐憫が、音楽表現されているように思えます。対旋律を伴うピアノのパートには、聖歌のような雰囲気があり、手鍵盤1段のみのポジティフ・オルガンが思い起こされます。けれども外を歩くという内容から、ポルタティーフ(オルガン)がシューベルトのイメージにあったのではないでしょうか。ふらふら歩くリズム、歌に最後まで伴う慈愛と憐憫、教会音楽的響きの三者が重なり合う悲しい美しさは筆舌に尽くしがたく、シューベルトの歌曲中、最も好きなリートのひとつです。
(訳、記述 2002.12.10 改訳、追記 2008.8.14. 渡辺美奈子)
( 2008.08.14 渡辺美奈子 )