Babushka i vnuchek Op.54-1 16 Pesni dlja detej |
おばあさんと孫息子 16の子供のための歌 |
Pod oknom chulok starushka vjazhet v komnate ujutnoj, i v ochkj svoi bol’shie smotrit v ugol pominutno. A v uglu kudrjavyj mal’chik molcha k stenke prislonilsja. Na litse ego zabota, vzgljad na chto-to ustremilsja. Chto sidish’ vse doma,vnuchek? shel by v sad,kopal by grjadki ili kliknul by sestrenku, poigral by s nej v loshadki. Podoshel k stapushke vnuchek i golovkoju kurchavoj k nej pripal. On molchit,glaza bol’shie na nee gljadjat lukavo... Znat’,gostintsu zakhotelos’? Govorit emu starushka, vinnykh jagod,vinogradu, il’ tebe nuzhna igrushka? Net,gostintsev mne ne nado! u menja igrushek mnogo. Sumku ty kupi da v shkolu pokazhi-ka mne dorogu. |
窓辺には靴下を編んでいる ひとりのおばあさん 居心地良い部屋の中 そして大きな老眼鏡で あっちの隅っこをチラチラ見つめてる その隅っこでは巻き毛の男の子 壁に静かに寄りかかって 悩みを顔に出しながら 彼の目は遠くを見つめてる どうしてお前はうちの中にばかり居るんだい、孫や? お前も外に出なくちゃだめだよ、花壇を掘ったり お前の小さい妹を呼んでさあ 馬で遊んだりしなきゃ 孫はおばあさんのところにやってきて 彼の小さな巻き毛の頭を おばあさんへともたせかけた 何も言わなかったが、目が語っていた 甘いものでも欲しいのかい? おばあさんは孫に聞いた キイチゴか、ブドウか何かを それともおもちゃかい? 食べ物なんか欲しくないや おもちゃだって一杯持ってるもん ランドセル買っておくれよ ぼく学校へ行きたいんだ |
1861年に農奴解放が行われ、教育がないままに置かれていた小作農階級にも形式的には教育が受けられる仕組みができました。実際には教育のインフラが整わず、また日本でも明治のはじめに義務教育に反対する農村の一揆があったように、教育を受けることに対する当の農民階級の側のインセンティブがなかったといったこともあったようですが、ここでは子供を学校に通わせようなどとは思いもよらないおばあさんと、学校へ行きたくてたまらない孫息子とのチグハグな会話が繰り広げられています。冒頭のおばあさんの描写はちょっと悲しげにゆったりと、しかし孫息子の登場と共に音楽はユーモラスに調子よくなります。最後の孫のせりふはまた冒頭の悲しげなメロディが帰ってきて音楽を引き締めています。
あまり歌われることの多くない16曲からなるチャイコフスキーのOp.54(1883)、
プレシチェーエフが書いた子供のための詩集「マツユキソウ(Podsnechnuk)」から詩を選んでいます。最初は15曲から成っていて、後に作曲者がその2年前に書いた「子供の歌」を加えています。
で、この詩は30連もある長大な詩なのだそうですが、チャイコフスキーは作曲するに当たってそれをわずか6連にまでつづめてしまいました。全体の話の流れも興味深いところです。
( 2008.08.01 藤井宏行 )