Pesn’ Zemfiry |
ゼムフィラの歌 |
Aleko: Ili pod sen’ju dymnoj kushchi TSygana dikogo rasskaz? Zemfira: Staryj muzh,groznyj muzh,rezh’ menja, staryj muzh,groznyj muzh,zhgi menja: ja tverda,ne bojus’ ni ognja,ni mecha. Rezh’ menja,zhgi menja! Nenavizhu tebja,preziraju tebja; ja drugogo ljublju,umiraju ljubja. Aleko: Molchi. Mne pen’e nadoelo, Ja dikikh pesen ne ljublju. Zemfira: Ne ljubish’? Mne kakoe delo? I pesnju dlja sebja poju. Staryj muzh,groznyj muzh,rezh’ menja, staryj muzh,groznyj muzh,zhgi menja: ja tverda,ne bojus’ ni ognja,ni mecha. Rezh’ menja,zhgi menja! On svezhee vesny,zharche letnego dnja; kak on molod i smel! Kak on ljubit menja! Aleko: Molchi,Zemfira,ja dovolen Zemfira: Tak ponjal pesnju ty moju? Aleko: Zemfira! Zemfira: Ty serdit’sja volen, Ja pesnju pro tebja poju. Staryj muzh,groznyj muzh,rezh’ menja, staryj muzh,groznyj muzh,zhgi menja: ja tverda,ne bojus’ ni ognja,ni mecha. Rezh’ menja,zhgi menja! |
アレコ: それともこれはテントの影で語られる ジプシーの荒々しい物語なのか? ゼムフィラ 年寄りオヤジ、残酷オヤジ、刺し殺すがいいさ 年寄りオヤジ、残酷オヤジ、焼き殺すがいいさ あたしは怖くないさ、炎も短剣も 刺すがいいさ 燃やすがいいさ! 大嫌いさ、軽蔑するよ 別の人が好き、愛に死んでやる アレコ 静かに、私はお前の歌にはうんざりだ 下品な歌は好きではないのだ ゼムフィラ 好きじゃないって? それが何だい? この歌は自分のために歌ってんだよ 年寄りオヤジ、残酷オヤジ、刺し殺すがいいさ 年寄りオヤジ、残酷オヤジ、焼き殺すがいいさ あたしは怖くないさ、炎も短剣も 刺すがいいさ 燃やすがいいさ! あの人は春のようにさわやか、夏の日のように情熱的 若くて大胆だ それにあたしを愛してるのさ! アレコ 静かに、ゼムフィラ、もう十分だ ゼムフィラ それじゃあこの歌のことが分かってんのかい アレコ ゼムフィラ! ゼムフィラ 好きなように怒るがいいさ これはあんたのことを歌ってんだからね 年寄りオヤジ、残酷オヤジ、刺し殺すがいいさ 年寄りオヤジ、残酷オヤジ、焼き殺すがいいさ あたしは怖くないさ、炎も短剣も 刺すがいいさ 燃やすがいいさ! |
これは作品番号の付いていない、まだチャイコフスキーが学生時代の習作のような作品のようですが(1857頃の作)、音楽にパワーがあるからでしょうか、比較的良く取り上げられる歌です。流麗で豪華な彼の作風からすると非常に素朴かつ荒削りな感じがするのが聴いていても面白いですが、確かに耳に残るメロディです。ジプシーの熱情がビンビンに響いてくるような激しさで、大嫌いな夫にぶつける怒りが聞こえてきます。
詩はプーシキンの物語詩「ジプシー(1824)」から。上流の暮らしに飽き、ジプシーの娘ぜムフィーラに惹かれて一緒に放浪暮らしを始めた主人公アレコに、彼の嫉妬深さにうんざりしたこのゼムフィーラがぶつける怒りの歌です。この歌が歌われたあと物語の結末では彼女は恋人の若いジプシーと共にアレコに刺し殺され、アレコはジプシーの集団を追われます。物語はこちらも若き日のラフマニノフが曲をつけて短いオペラにしているのでこちらでご存知の方もあるかも知れません。
チャイコフスキーのこの作品もまた、元のプーシキンの詩の中での会話が織り込まれて演奏されることもしばしばあり、私は聴いたことがないのですがソプラノのゼーダーシュトレームがウラジミール・アシュケナージのピアノ伴奏で録音したDeccaのCDではそのような形で収められているとのことです(しかもアレコ役はアシュケナージ自らがやっているのだとか)。もともとチャイコフスキーがこの曲を書いたのも、この物語の上演が目的だったのではないかと言われています。
興味深いのでその会話のせりふの部分も含めて取り上げ、訳してみました。ほんとうは「夫(muzh)」なのですけれども、怒りをぶつけている呼び方としてはなかなか日本語ではHusbandに対応する適当なものがないので(こんなところにも男尊女卑の名残が?)、ここではちょっと違うかも知れませんけれど「オヤジ」という言葉を使ってみました。
( 2008.08.01 藤井宏行 )