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Der greise Kopf   Op.89-14 D 911  
  Winterreise
灰色の頭  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 10 Der greise Kopf

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Der Reif hatt' einen weißen Schein
Mir übers Haar gestreuet.
Da glaubt' ich schon ein Greis zu sein,
Und hab' mich sehr gefreuet.

Doch bald ist er hinweggetaut,
Hab' wieder schwarze Haare,
Daß mir's vor meiner Jugend graut -
Wie weit noch bis zur Bahre!

Vom Abendrot zum Morgenlicht
Ward mancher Kopf zum Greise.
Wer glaubt's? Und meiner ward es nicht
Auf dieser ganzen Reise!

霜が白い煌めきを
髪の上に散りばめた
もう老人になったかと
僕はとても嬉しかった

だがそれはすぐに消え失せ
黒髪に戻ってしまった
僕は自分の若さが恐ろしい・・・
まだ棺桶までなんと遠いことか!

夕映えから黎明の間に
頭が灰色になった人が何人もいるという
誰が信じようか 僕の髪が
この旅の間に変わらないのに!


「郵便馬車」に続いてミュラーが追加した12篇のうちのひとつです。ミュラーの原詩集では「回想」の次に置かれています。

この詩についてまず疑問に思うのは、自分の頭の上の様子をどうやって見たのか、ということです。原野の中を歩いていては、頭の上が白くなったことに気づくはずがありません。手持ちの鏡でわざわざ見るというのも変です。そうなると、通りすがりの家の窓ガラスに映ったというのが妥当なところではないでしょうか。『冬の旅』というと、全面雪に覆われた原野を一人さ迷い歩く、という印象がありますが、よく読んでみるとそのように特定できる場面は意外に少なく、町を出てからも、人家や人影のあるところを多く歩いているようです。実体験では、当時の交通の要衝ブリュッセルから故郷デッサウへ向う道ですから、「道しるべ」で明らかにわき道に逸れるまでは、町を出てからも時折人家のある街道を歩いていたと考えていいでしょう(「鬼火」はミュラーの原詩集では「道しるべ」の後)。

もうひとつ注目すべきことに、この場面で主人公が帽子を被っていないということがあります。「リンデの樹」で風に飛ばされたまま置いて来たのですから当たり前ですが、なぜか原詩集でひとつ前の「回想」では被っています。「回想」の時制的位置づけは今ひとつ分かりにくいですが、帽子のことを考えると、詩全体が「リンデの樹」の前、市門を出る前のエピソードの回想という、入れ子形式なのかなとも思います。

一般にこの曲のタイトルの訳としては『霜おく髪』が多く用いられています。「霜おく」という表現は確かに日本語として雅やかであるものの、”Der greise Kopf” には霜”Der Reif”の語は使われていないので意訳ということになります。ドイツ語の慣用表現としてあるとしても、注釈抜きにいきなり”Der greise Kopf” と出てきたら「霜がおりた髪の毛」とはとられないはずです。いきなり「白髪頭(灰色の頭)」とはなんだろうと思うと、黒髪に霜が散らばって白髪まじりの頭に見えたということだった・・・という種明かしがこの題名の本意だとすれば、隠喩を用いた題名を意訳してしまうのはいわゆる「ネタばらし」になりはしないでしょうか。

欧米では白髪のことを灰髪と呼ぶようですが、今日主に「年老いた」の意に用いられる”greise”も明治時代の辞書(「新式独和大辞典」明治45年)では「灰色の」が先頭語になっているので、「灰色の頭」と直訳にしてみました。こうすると、この詩で目立つ色彩語が白、黒、赤(「夕映え」”Abendrot”は直訳で「夕赤」)に加え一色増えることになります。

『冬の旅』の訳を進めるにつれ、わたしはゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』との関連を強く感じるようになっているのですが、この詩については三宅幸夫氏が、その作に含まれるゲーテの詩「竪琴弾き」を挙げ、ゲーテの竪琴弾きは『冬の旅』の主人公の祖形なのだと結論付けています。しかしわたしの解釈は違います。人生の辛酸を舐めた、決して癒されることの無い竪琴弾きの苦悩に対して、この若者の苦悩はこの時点で彼が思っているほどには、詩の中で語られる言葉の深刻さほどには深いものではなく、これから乗り越えてゆくことも可能な苦悩と思います。その対照が終曲「辻音楽師」における出会いによって明らかになり、若者が自らの苦悩を相対化するきっかけとなることが示唆されているのだと考えるのです。

( 2008.06.14 甲斐貴也 )


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