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Die Post   Op.89-13 D 911  
  Winterreise
郵便馬車  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 6 Die Post

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Von der Straße her ein Posthorn klingt.
Was hat es,daß es so hoch aufspringt,
Mein Herz?

Die Post bringt keinen Brief für dich,
Was drängst du denn so wunderlich,
Mein Herz?

Nun ja,die Post kommt aus der Stadt,
Wo ich ein liebes Liebchen hatt',
Mein Herz!

Willst wohl einmal hinüber sehn
Und fragen,wie es dort mag gehn,
Mein Herz?

通りの方から郵便ラッパが鳴り響く
どうしたことだ、何故こんなに高鳴るのか
僕の胸は

郵便馬車はお前に手紙など持って来ない
いったい何がそうも奇妙に昂ぶらせるのだ
僕の胸よ

そうか、郵便馬車があの町から
愛しいあの娘のいる所から来たからだな
僕の胸よ!

ひと目向こうを眺めてみたいのか
そして尋ねたいのか、あちらはどんな様子かと
僕の胸よ


 「孤独」で打ちひしがれて寂しく歩く若者の耳に、なんとも場違いに陽気なポストホルン(郵便ラッパ)が聞えてきます。「通りから」ということは、若者は通りでないところにいるようですが、ラッパを鳴らして到着を知らせていることから、周辺に人家があるか、あるいは街中のことと思われます。一連目は三人称で胸のときめきを訝り、二連目から二人称になって自分の胸に問いかけていることから、最初の”Mein Herz”のみ「僕の胸は」にして、あとを「僕の胸よ」にしてみました。
 ミュラーの原詩では「リンデの樹」の後に置かれているので、リンデの樹のある市門からかなり離れたところまで来ているはずです。そこまで振り向かずに歩いて来たものの、心の内に響くリンデの枝のざわめきに耳を傾けていると、突然現実の音が生々しく現れるということになります。
 恋人からの手紙を運んでくる愛の象徴である郵便馬車が、振り向かずに去ってきた彼女の住む町から、まるで追いかけるようにやって来た。しかし愛の手紙は持たずに。なんという間の悪い皮肉な愛の使いの到来でしょうか。若者はそんなことを思いもせず、すっかり心乱されてしまっているようですが、結局は振り返ることも、町の様子を聞くこともしなかったのでしょう。
 暗い「孤独」からいきなりこの曲に入ると、奇妙な違和感を覚えますが、わたしにはそれは、まるでマーラーの音楽での軍隊行進曲と葬送行進曲の同居のように、ミスマッチを狙った演出のようにも思えます。この曲集で言えば「春の夢」での、明→暗の転換のちょうど逆と言うことになります。

  郵便馬車に郵便ラッパ(ポストホルン)はつき物で、今日のドイツの郵便局のマークはラッパのデザインになっています。このポストホルンの旋律が完全なシューベルトの創作なのか、当時のウィーンで運行していた郵便馬車で用いられていた吹奏曲に関連があるのかどうかは資料が見当たりませんでした。シューベルトがこの曲をミュラーの詩集の通りに「リンデの樹」の後に挿入しなかったのは、「おやすみ」から「孤独」までに構築された音楽的関連性を崩したくなかったと考えるのが妥当と思いますが、詩の内容はともかく穏やかな長調で終わる「リンデの樹」の後よりも、悲痛な短調の詠嘆で終わる「孤独」の後にこの曲を置いた方が、その場違いな明るさという効果ははるかに生きると思います。
 詩集の流れとしても、前半12編の旅でようやく諦観の兆しが見えかけたところに、実は全く思い切れていないことを明らかにするこの詩で、それまでをご破算にし、更なる苦行を続ける第2部冒頭として相応しいものとも考えられます。ピアノ伴奏による朗らかなポストホルンの吹奏、闊達な馬の蹄鉄の音、高鳴る若者の胸。しかし切なくも虚ろに歌われる長調の哀歌。大変見事な歌曲と思います。

 さて、ここで当時の郵便馬車というものについて調べてみますと、これは単純に郵便だけを運ぶものではなく、数人の旅行客を乗せて運行されていたことがわかりました。その起源ははるか2000年前、古代ローマ帝国のカエサルが発案したものであったようですが、帝国の滅亡と共にローマ街道も荒廃し、中世に他国の軍勢の侵入を恐れる封建君主は意図的に道路の整備を怠ったこともあり、再び郵便馬車による交通網がヨーロッパ全土に敷かれたのは18世紀になってからのことになります。ミュラーが『冬の旅』の基になったとされる実体験をしたナポレオン戦争の頃は、戦乱により道路が荒れ、馬車の進行速度は遅く、転覆の危険も多かったとのことです。
 これまで何度も引用させて頂いている論文「『冬の旅』の根底にあるもの」を書かれた渡辺美奈子さんに、貴重な資料を見せて頂いてわかったのですが、ミュラーは生涯に数多くの旅行に明け暮れ、その交通手段に郵便馬車を多用していたとのことです。その運行ダイヤに合わせて綿密な旅行計画を立てていたことが書き残されており、ミュラーにとって郵便馬車は非常に親しいものであったことがわかります。ならばこの時の旅で郵便馬車を利用したのかどうか。少なくともこの場面では乗っていませんが、ブリュッセルからベルリンという長旅をすべて徒歩で通したのかどうか。
 この詩のエピソードが、実体験に基づくものなのか、そうした後年の経験から創作されたものかはわかりませんが、ミュラーが後から追加した12編には非常に強烈な印象を与える象徴的なエピソードが多いことから、初期の12編が実体験そのものに近く、追加されたものには心象風景を象徴化した創作が含まれるのではないかとも思います。事実に基づくかどうかはともかく、ミュラーにとっての「旅」に欠かせない象徴が『冬の旅』に付け加えられたことは間違いありません。

 軽快な曲ですが、個人的にはあまり速くないテンポが好みです。決して疾走してくるような馬車ではないということもありますが、もう望みが無いことをわかっていながら胸が高まってしまうという感情を、ほとんどが長調のこの曲で表現するのには、ある程度落ち着いたテンポが必要だと思うのです。

参考文献:
「愉しいビーダーマイヤー」前川道介著(クラテール叢書)
「ローマ人の物語:すべての道はローマに通ず(上)」塩野七生(新潮文庫)

( 2008.06.02 甲斐貴也 )


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