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Einsamkeit   Op.89-12 D 911  
  Winterreise
孤独  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 22 Einsamkeit

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Wie eine trübe Wolke
Durch heit're Lüfte geht,
Wenn in der Tanne Wipfel
Ein mattes Lüftchen weht:

So zieh ich meine Straße
Dahin mit trägem Fuß,
Durch helles,frohes Leben,
Einsam und ohne Gruß.

Ach,daß die Luft so ruhig!
Ach,daß die Welt so licht!
Als noch die Stürme tobten,
War ich so elend nicht.

暗澹としたはぐれ雲が
澄んだ空を横切るように
樅の樹の梢を
澱んだ微風が揺らす時に

足取り重く彼方へと
僕は我が道を行く
朗らかにさんざめく中を
孤独に、挨拶も交わさずに

ああ、なんと穏やかな風!
ああ、なんと明るい世界!
嵐が吹き荒んでいた時は
これほどに惨めではなかった


全24曲の歌曲集として知られる『冬の旅』ですが、その初期状態は全12曲でした。原詩集の作者ミュラーが当初全12編の詩集として『ウラーニア』に発表したものにシューベルトが目をとめ、全12曲の歌曲集として完成した後に、ミュラーが12編追加して全24編に改訂したものが出版され、それを知ったシューベルトもその全てに作曲して現在の形になったという経緯があるのです。そこで第12曲「孤独」は初期状態における終曲ということになります。

ご覧のように、終曲としてはなんの解決も発展も無く、それまでの延長線上にある嘆きと疎外感の固まりのように、負け犬として去っていく若者。その背景にある詳しい事情を知らされないままここまで付き合ってきた読者としては、途方にくれる以外ないように思います。しかしその後ミュラーはこれを通過点に変更し、更なる苦難の旅のエピソードと、新たな終曲を追加しました。その「辻音楽師」は、希望があるのか絶望なのか、あるいは死が示唆されているのかなど議論の尽きない謎の曲ですが、初期状態の終曲であったこの曲は、それを考える上で大きなヒントになるはずと思います。

かなり異なった情景を描いたように思える両者ですが、よく読むと異なるのは視点だけで、状況そのものは非常に似かよっていることが見えてきます。まず主人公以外に複数の通行人が存在すること。そのことから日中のことであり、また気象条件は穏やかなものであること。両者とも、長く厳しい冬の続く中、束の間の小春日和に誘われたのか、あるいは教会にでも行くためか、村の人々が通りを歩き挨拶を交わしたりしている情景であると考えて間違いはないと思います。違うのは、「孤独」では終始主人公自身の孤独が語られるのに対し、「辻音楽師」ではこの物語で初めて明確に現れる他者、人通りのあるところで物乞いをしている辻音楽師の老人に視点が集中し、主人公自らの苦悩は語られていないことです。

詳しくは「辻音楽師」の項で考えることになりますが、同じ状況の中、それまでの曲と同じように孤独で惨めな自分を嘆いて終わる「孤独」に対し、「辻音楽師」における主人公の関心はより不幸な他者に向けられており、その精神レベルは確実に向上していると考えられることから、そこに主人公自身の救済が示唆されていると、今のところわたしは考えています。

第一連では珍しく自然抒情詩風の描写が見られますが、第二連、第三連の状況の比喩であることが明らかな一、二行目に対し、三、四行目の解釈が難しいところです。何気ない情景描写と見る向きが多いようですが、仮にも初期状態の終曲で全曲を締めくくる詩、しかもわずか12行の詩の中に深い意味の無い詩句があるはずがないと考えると、まず目に付くのは樅(モミ)の木の存在です。ご存知のごとく樅の木は常緑の針葉樹ですから、これまでの雪と氷に閉ざされ、枯れた花や葉の落ちてしまっているリンデなどの荒涼とした風景の中で、初めて現れた現実の緑ということになります。青森以南に自生する我が国特産の樅と異なり、寒冷地の樹木であるヨーロッパモミは、古代ゲルマン時代からの永続する愛、永遠の生命の象徴であることから、主人公の娘への揺るがぬ愛の象徴と考えることは間違いではないと思います。それはもうひとつの愛の象徴である落葉樹のリンデの樹が、いまや葉を落として裸になってしまっているのと鮮やかな対照をなしています。そうなればこちらは失われた娘の愛であるということになるでしょう。

問題はそのあとの「澱んだ微風が揺らす時に」で、「澱んだ」と訳した”mattes”にネガティブな意を与えるか否かでこの詩の様相は大きく異なってきます。単に「弱い」「優しい」”gentle”などですと情景描写の要素が強まりますが、辞書的にはネガティブな意の強いこの語、主人公の変わらぬ愛情に諦観が兆し始めたと解して「澱んだ」をとりました。それが失意のまま我が道を歩んでゆく結末にふさわしいと思われたからです。

また、既存の訳では第一連の三、四行目が一、二行目にかかるように訳しているものが多くあり、わたしも当初そのようにしてみたのですが、『冬の旅』研究者の渡辺美奈子さんから不自然というご指摘を頂き、再考した末に現状に改めました。これにより初めて上記のような第一連の意味合いがはっきりし、確信を持った訳とすることができました。渡辺さんには、楽譜の表記に従って各行の冒頭を大文字に統一していないわたしの原詩の表記法に対し、定型詩として記載するには各行の最初は大文字にするのが正しく、韻律上からも重要というご指摘も頂き、今回からやり方を改めることにしました。既存のものも今後訂正するつもりです。その外にも誤訳のご指摘なども頂いており、御陰さまでわたしの実力以上の仕上がりとなったと思います。この場を借りて渡辺さんに御礼申し上げます。

さて、シューベルトのつけた音楽については既に多くの方が適切な評価を下されていますが、一、二連目の憂愁と対照的な三連目の逆説的苦悩をドラマティックに盛り上げ、主人公の苦悩の深さに説得力を与えていて見事です。なお、自筆譜ではこの曲は第一曲の「おやすみ」と同じ調であったのが、全24曲となった際に「辻音楽師」と同じロ短調に変更されており、シューベルトがこの「2つの終曲」を関連付けていたこととして注目されます。

【ヨーロッパモミ】
上記のように日本特産の樅(モミ)とは植生が異なる植物で、また日本のモミが木材としては上質でなく、棺桶の材料程度にしか使われないのに対し、ヨーロッパ・モミは非常に上質であるという大きな違いがあります。しかしモミという名は語源が明確でなく、菩提樹のような特殊な意味合いがないこと、クリスマスツリーの木として広く知られていることから、慣用的呼び名をそのまま用いることにしました。

上質な木材ながら成長が遅いことから、同じように上質でより成長の早い唐檜が植林に用いられ、シュヴァルツバルトに代表される今日のドイツの森の主となっているとのことです。つまり意外にもあのドイツの黒い森は、古代ゲルマン時代からの広葉樹と針葉樹の混合樹林が、炭焼きや建築資材のために伐採しつくされた後に人工的に作られたものなのです。

そうした樅の木の象徴性を明らかにする歌曲といえば、すぐに「おお樅の木よ」が思い浮かびます。そこでこの曲のことを少し調べてみると、非常に面白いことがわかりました。現在クリスマスソングとして歌われているこの曲の歌詞の2番以後は1824年に差し替えられたもので、1820年にドイツ民謡集に収められてベルリンで出版された当時のものは、2番以後が失恋の歌、つまり冬でも雪でも緑を失わない樅の誠実に対比して、娘の心変わりを嘆く歌だったのです。ツァルナックによるその歌詞を訳してみました。曲は全く異なる内容の18世紀の労働歌のもで、歌詞は「子供の魔法の角笛」にある樅の木の詩を元にしたツァルナックの創作。つまり民衆の伝承による本当の民謡ではなく、民謡調歌曲と呼ばれるものに近い作品です。出版状況から見て、「冬の旅」を書いた当時のミュラーがこの曲を知っていたことはまず間違いないでしょう。

ツァルナック 「おお樅の樹よ」1819(拙訳)

おお樅の樹よ、おお樅の樹よ
その葉のなんと誠実なこと!
お前は夏の間だけでなく
冬になっても雪が降っても緑だ
おお樅の樹よ、樅の樹よ
その葉のなんと誠実なこと!

おお娘さん、おお娘さん
お前のなんと薄情なこと!
誠の誓いに喜び満ちたが
去ってしまった今は空っぽ
おお娘さん、娘さん
お前のなんと薄情なこと!

小夜鳴き鳥、小夜鳴き鳥
お前はあれを手本にしたな
夏が輝く間だけいて
秋になったら行っちまう
小夜鳴き鳥、小夜鳴き鳥
お前はあれを手本にしたな

谷間の小川、谷間の小川
それはお前の不実の鏡
雨が降ってるときだけ流れ
あがるとすぐに水を断つ
谷間の小川、谷間の小川
それはお前の不実の鏡



ドイツの樅の木について、小塩節氏の著書『木々を渡る風』(新潮社)の「ドイツの春」に、大変素晴らしい一節がありますので引用し、この項を締めくくりたいと思います。

「なにしろドイツの冬は長くて暗い。十一月から四月まで、空は灰色の層雲におおわれ、積雪はあまりないが大地はガチガチに凍りつき、ときには生木が寒さで割れたりする。陰うつであんたんたる北国の冬。眼を慰めるものはなにもない。すべてが枯れて死んでしまったかのように見える。太陽はほとんど地平線から離れようともしない。
 ところがたったひとつ、樅の木だけはこのドイツのマイナス二十数度の寒さのなかでも緑の枝を大気の中に凛と伸ばしてめげることがない。雪をかぶったその緑は人の目を深く慰める。古い昔のゲルマン民族は、この樅の木には神の霊が宿るのだと信じて大切にした。とくに冬至のころから、その枝を室内に持ち込んで長い暗い冬の日々の慰めとした。その古い民族習慣がキリスト教に取り入れられ、クリスマス・ツリーとなった。聖書の世界には樅の木は生えていないのである。」

( 2008.05.26 甲斐貴也 )


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