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Frühlingstraum   Op.89-11 D 911  
  Winterreise
春の夢  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 21 Frühlingstraum

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Ich träumte von bunten Blumen,
so wie sie wohl blühen im Mai,
ich träumte von grünen Wiesen,
von lustigem Vogelgeschrei.

Und als die Hähne krähten,
da ward mein Auge wach,
da war es kalt und finster,
es schrien die Raben vom Dach.

Doch an den Fensterscheiben,
wer malte die Blätter da?
Ihr lacht wohl über den Träumer,
der Blumen im Winter sah?

Ich träumte von Lieb um Liebe,
von einer schönen Maid,
von Herzen und von Küssen,
von Wonne und Seligkeit.

Und als die Hähne kräten,
da ward mein Herze wach,
nun sitz ich hier alleine
und denke dem Traume nach.

Die Augen schließ ich wieder,
noch schlägt das Herz so warm.
Wann grünt ihr Blätter am Fenster,
wann halt ich mein Liebchen im Arm?

五月に咲き満ちるような
とりどりの花の夢を見た
朗らかに小鳥がさえずる
緑の牧場の夢を見た

すると雄鶏の鳴き声で
目が覚めた
あたりは冷たく陰鬱で
屋根では大鴉(オオガラス)が騒いでいた

あの窓硝子に
木の葉を描いたのは誰だ
冬に花を夢見る者を
嗤っているのか?

愛の日々を夢見た
美しい娘を
愛撫を、口づけを
恍惚と至福を

すると雄鶏の鳴き声で
我に返った
今はここにただ独り坐し
見た夢に想いを馳せている

再び目を閉じたが
胸はまだ熱く高鳴っている
窓の葉が緑に色づくのはいつだろう
愛しい人をこの腕に抱くのはいつだろう


大変に美しい旋律で知られる曲。その幸せな愛の夢は第二連で雄鶏の鳴き声に破られ、荒んだ現実に引き戻される恐ろしいほどの落差はまるで地獄落ちのようです。そして第三連で若者は再びまどろんでゆく。その繰り返しが、夜明け前のひと時の情景と若者の心理をシューベルトの音楽が鮮やかに描いています。

愛の夢の中では第1曲や第4曲に現れたモチーフであった、花や緑の草などが現れますが、雄鶏と大鴉の叫びが、第8曲のナイチンゲールと雲雀に対応しているとしたら、これは相当にシニカルなパロディと言えるでしょう。窓硝子に描かれた木の葉とは、ガラスに葉脈のような模様に結晶した霜とされていますが(南弘明・道子著『冬の旅〜対訳と分析』にその美しい写真が掲載されています)、これも第8曲で窓辺に愛の象徴であるリンデが葉を繁らせていたことに対応しているのかもしれません。それは凍りついた愛の幻なのか。
なお、シューベルトがピアノ伴奏で雄鶏の叫び声の模倣を3回鳴らすことから、ペトロがキリストに「雄鶏が鳴くまでに3回私を知らないと言うだろう」といわれたという「ペテロの否認」になぞらえる解釈がありますが、面白いながらもいまひとつ関連に必然性を見出しがたいものがあります。

第四連ではかなり際どい内容の愛の回想をしていますが、この箇所はほとんどの解釈では片思いの若者の夢想、願望のように扱われてきました。しかしこれまで見てきたように、主人公と娘が深い仲であったとすると、ここなど正にその証明になる部分でしょう。今まで軽視されてきたのが不思議なくらいの、官能的な愛の思い出への直截的な言及です。最終連では、この愛が二度と蘇ることがないことを、若者自身悟っていることが示唆されています。

今回訳していてふと気づいたのが雄鶏の存在する理由です。前曲からの流れから見て、この詩は宿を得た炭焼き小屋の中でのことと考えられますが、その近くに複数の雄鶏がいるということは? 雪と酷寒の真冬に雄鶏が勝手にうろうろしていられるはずがありません。直訳で「炭焼き人の小さな家」であるここは、「人里離れた無人の炭焼き小屋」のようなイメージが一般にあると思いますが、皆さんはどう読んでおられますでしょうか。実はここには鶏を飼ってもいる炭焼き人が住んでいて、若者を泊めてくれたのではないでしょうか。あるいはいくばくかの報酬を払ったのかもしれません。少なくとも、その鳴き声に目をさますような距離に雄鶏が飼われている所である事は間違いありません。なお、ドイツでは鶏の鳴き声を『キッキリキー(kikeriki)』と表すとのことです。

屋根の上で鳴くカラス、”Raben”(Rabeの複数)を「大鴉(オオガラス)」と訳しましたが、これは第15曲のカラス、我が国でも普通に見られるハシボソガラス”Krähe”とは別種の、一回り大きい最大級のカラスで、我が国では北海道に渡り鳥として来るためワタリガラスと呼ばれています。オオガラスはその別名で、この場合「渡り」は関係ないのでこちらをとりました。RabenもKräheも両方単に「カラス」としている訳が多いですが、せっかく区別して書かれているのですから訳も工夫したいところです。元来、古代より神聖な鳥とされ、アーサー王の伝説にも出てきますが、ここでは近世の不吉の象徴であることは間違いないでしょう。真冬の早朝、炭焼き小屋の上に複数のワタリガラスがいることから見て、彼らは人家に餌を当てにしていると思われ、そのことも炭焼き小屋が無人でない状況証拠となるかもしれません。

参考HP:
「C.W.ニコルのTALK IN NATURE」〜ワタリガラス
http://www.hbc.co.jp/nicol/raven/back6.html
・古来神聖な鳥であったワタリガラスが不吉の象徴になったのは、近世の戦乱により放置された戦死者の遺体をついばむ姿が見られるようになったから、という興味深い説が提示されています。ミュラーも自身の戦争体験で、その凄惨な光景を目にしていたのかもしれません。

( 2008.05.01 甲斐貴也 )


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