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Gefrorene Tränen   Op.89-3 D 911  
  Winterreise
凍った涙  
     冬の旅

詩: ミュラー,ヴィルヘルム (Johann Ludwig Wilhelm Müller,1794-1827) ドイツ
    Die Winterreise 3 Gefrorene Tränen

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Gefrorne Tropfen fallen
von meinen Wangen ab:
Ob es mir denn entgangen,
daß ich geweinet hab'?

Ei Tränen,meine Tränen,
und seid ihr gar so lau,
daß ihr erstarrt zu Eise,
wie kühler Morgentau?

Und dringt doch aus der Quelle
der Brust so glühend heiß,
als wolltet ihr zerschmelzen
des ganzen Winters Eis.

Ihr dringt doch aus der Quelle
der Brust so glühend heiß,
als wolltet ihr zerschmelzen
des ganzen Winters Eis.

凍った雫が落ちる
僕の両頬から:
気づかぬうちに
泣いていたのだろうか

おい涙 私の涙
そんなに生ぬるいのか
冷たい朝露のように
凍りついてしまうとは

この胸の源から迸った時は
熱くたぎっていたではないか
この冬の氷すべてを
融かしつくそうとするほどに

お前たちが胸の源から迸った時
熱くたぎっていたではないか
この冬の氷すべてを
融かしつくそうとするほどに


 ようやく重い足どりで歩き始めると、凍った涙が凍てついた地面に落ちる。そして、極寒の中で凍ってしまう涙に、その源である自分の胸は熱いのにと嘆く。ピアノは後ろ髪を引かれて歩くようなぎこちないリズムに、凍った涙が凍った地面に当たった音のような高音の単音。第三連では「源(クヴェーレQuelle)」が感傷的にやや引き伸ばされ、冬の氷を解かし尽すというくだりではピアノの低音の付点リズムが高まった感情を表すかのようです。第三連はシューベルトにより最初の一語のみ変えられて繰り返され、全三連の原詩が四連の形になっています。
 「おやすみ」の解釈が大変参考になった『冬の旅 24の象徴の森』(梅津時比古著・東京書籍)ですが、この曲の項はあまり共感できませんでした。特に、「涙が凍るということは、たとえドイツが相当寒い冬を迎えたとしても、物理的にはありえない」と断定して論を展開しているのはいかがなものでしょうか。ドイツの冬は内陸部では時に零下10〜20度にも達するところもあるそうです。同程度の気温の北海道では、真冬に屋外で涙を流すと目からつららが下がるとか、凍り付きパリパリして痛いという話を聞きますので、ドイツの冬でも涙が凍ることは十分考えられると思います。
 その寒さでは夜明けを待たずに出発するのが危険なことも間違いなく、「おやすみ」で主人公が「旅立ちの時を選ぶことは出来ない」と言っている意味の重大さがわかります。若者には命の危険を冒してまで、決然と旅立たねばならない理由があるということです。梅津氏に限らず、この曲の詩で涙が生ぬるいと言っていることを、情熱の衰えに結び付ける論がありますが、このことからもわたしには深読みに過ぎるように思えます。旅の始まりの時点でそれでは、自殺行為とも思える真冬の夜の出発に必然性が見出せないと思うのです。呑気な感傷旅行に出るのではないのです。
 『冬の旅』で主人公が寒さを訴える言葉は「休息」”Rast”の「立ち止まるにはあまりに寒かった」しかありませんが、その述懐が明らかにしているように、この物語の中で冬の寒さは全てを凍てつかせ、極限状況と言える猛威を振るっているはずで、若者は常に寒さに脅かされていると考えられます。にもかかわらず、炭焼き小屋で寒さをしのいで休む「休息」以外の詩で寒さの厳しさが一度も語られないのは、詩人にあえての意図があるのではないでしょうか。
 わたしは、「冬の旅」の事実上の始まりとなるこの詩で重要なのは、言葉で語られる「涙の生ぬるさ」ではなく、それが凍ってしまうという描写で示される「極寒」ではないかと思います。当たり前の話をくどくどするようで恐縮ですが、感情の「熱さ」とは比喩であって、涙が人間の体温以上に熱くなったり「たぎる」ことはあり得ません。温度にして30度台後半の、正に「生ぬるい」涙など、流れ出した途端に凍ってしまう程の極寒、それはどんなに「熱い」情熱を持とうが抗い得ない逼塞状況の隠喩であり、それに抗して歩み始めた「旅」の無謀さ、その精神的物理的極限状況を説明するのが、この曲の曲集中における位置だと思うのです。

( 2008.01.19 甲斐貴也 )


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