L'ultima canzone |
最後の歌 |
M'han detto che domani Nina vi fate sposa, Ed io vi canto ancor la serenata. Là nei deserti piani Là,ne la valle ombrosa, Oh quante volte a voi l'ho ricantata! Foglia di rosa O fiore d'amaranto Se ti fai sposa Io ti sto sempre accanto. Domani avrete intorno Feste sorrisi e fiori Nè penserete ai nostri vecchi amori. Ma sempre notte e giorno Piena di passione Verrà gemendo a voi la mia canzone. Foglia di menta O fiore di granato, Nina,rammenta I baci che t'ho dato! Ah! ... |
みんな言ってる 明日 ニーナ、きみは結婚するんだって ぼくはきみにそれでもまだセレナーデを歌うんだ! 誰もいない野原や 草の茂った谷間で おお、何度きみにぼくは歌ったことか! 「バラの花びらよ アマラントの花よ きみが結婚してくれるなら ぼくはいつもきみのそばにいるよ」 明日にはきみは囲まれるだろう 祝宴に 笑顔に そして花たちに もうきみはぼくたちの昔の恋のことなんか思い出さないだろう だけど 夜でも昼でも 情熱にあふれて きみにぼくの歌が嘆きを届けるのだ 「ハッカの葉っぱ おおザクロの花よ ニーナ、思い出しておくれ きみにあげたくちづけを!」 ああ! |
トスティの傑作歌曲のひとつとしてこれもけっこう耳にする機会の多い作品です。ただ詞はかなりドロドロの愛憎劇ですね。こんなものを元カレに結婚式の前夜に窓辺で歌われるなんていうのは女性の方はかなりイヤなのではないでしょうか...
明日は結婚してしまうニーナへの呼びかけの部分のほの暗いメロディと、そしてひたすら甘い思い出のメロディとの対比が絶妙でそして美しいので歌曲として非常に愛されるのはよく分かるのですが、やはりこれはストーカーの歌みたいです。
アマラントの花というのは、ダヌンツィオの詩に付けたトスティの名歌曲集「アマランタの4つの歌」にも出てきますが、不凋花ともよばれる伝説上の花なのだそうです。実在の植物として鶏頭の花のこともこう呼びますのでこちらのことを歌っているのかも知れませんが、ここではどちらとも訳さずに「アマラントの花」としました。また訳詞によって解釈が割れていて悩ましかったのが1番の「Se ti fai sposa」のところ。「もしもお前が結婚したら」と言っている相手がこの歌い手自身なのかそれとも別の男なのかでストーカー度が大きく違ってきます。
この歌をまだふたりがラブラブだったときに歌っていれば、ここは「もし結婚できれば ぼくはお前とずっと一緒だよ」という意味になりますが、ここで最後の夜の恨み事を言うときにはその同じセリフが「別のヤツと結婚しても付きまとってやるぜ」という意味で歌われてしまっているのでしょうね。悩みましたが私はまだラブラブのときの台詞のままにしておきました。
また面白いのは、地の部分ではViやVoiですから「あなた」と丁寧に、そして思い出のセレナーデの部分では同じ呼びかけがti(お前)となっていることです。この呼び方の違いがけっこう微妙な心の揺らぎを醸し出しているようでじっくり読むと興味深い、しかしこれを歌われるニーナとしてみればけっこう怖いかも知れませんね。暴力団関係者が慇懃に丁寧語で話しかけてくるような感覚とでも申しましょうか...
イタリアのテノール歌手たちはすべてと言っていいくらいこの曲を愛唱しています。しかしこうして歌詞をじっくりと読むと、フランコ・コレルリやジュゼッペ・ディ・ステファノといった「濃い」テノールの歌うこの歌はかなり怖い歌なのだということが感じられて(面白いのは面白いのですが)私でもかなり怖く感じられるようになりました。その点で非常にいい味を出しているのが日本のテノール、五郎部俊朗氏の歌ったこの歌。アルマヴィーヴァ伯爵とかマントヴァ公爵なんかを歌う軽やかなテノールの歌うこの歌というのが詞のドロドロを中和して非常に味わい深いものにしています。これくらい控え目な歌だったらニーナも苦笑いしながら一晩中付き合ってあげたことでしょう。最後の「ああ」というため息も涙を誘います。ここをコレルリのような歌い方でこれを窓辺で歌ったらきっと警察沙汰になりそうですから。
( 2007.12.30 藤井宏行 )