荒涼たる帰宅 智恵子抄 |
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あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ 智恵子は死んでかへつて来た 十月の深夜のがらんどうなアトリエの 小さな隅の埃を払ってきれいに浄め 私は智恵子をそつと置く この一個の動かない人体の前に 私はいつまでも立ちつくす 人は屏風をさかさにする 人は蜀をともし香をたく 人は智恵子に化粧する さうして事がひとりでに運ぶ 夜が明けたり日がくれたりして そこら中がにぎやかになり 家の中は花にうづまり 何処かの葬式のやうになり いつのまにか智恵子が居なくなる 私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる 外は名月といふ月夜らしい |
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最後は壮絶な別れの情景描写です。詩自体は彼女が昭和13年10月に亡くなってからだいぶ経った昭和16年6月とクレジットがありますが(詩集の35番目の詩)、まさに葬儀が終わった直後の寂寞感・孤独感がひしひしと現れています。
光太郎はこのあとも、戦後の昭和27年に至るまで妻の思い出を綴ったり、妻への呼びかけをしたりと、この智恵子抄に詩を連ねて行き、全部で47篇の詩を連ねたものとしました。その中でも私が特に感銘を受けたのは昭和22年6月とある37番目のこの詩です。それから60年経った現在において自力で得たのでない、苦しみを経ずに降って湧いた自由はどんどん醜くなっていっているのかも知れません。
報告(智恵子に)
日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲(かこひ)の中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐(お)ひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。
2007.12.16 2011.07.15改定
( 2011.07.15 藤井宏行 )