Old Black Joe |
オールド・ブラック・ジョー |
Gone are the days when my heart was young and gay, Gone are my friends from the cotton fields away, Gone from the earth to a better land I know, I hear their gentle voices calling “Old Black Joe.” (chorus) I'm coming,I'm coming,for my head is bending low: I hear those gentle voices calling,”Old Black Joe.” Why do I weep when my heart should feel no pain Why do I sigh that my friends come not again, Grieving for forms Now departed long a go? I hear their gentle voices calling “Old Black Joe.” (chorus) I'm coming,I'm coming,for my head is bending low: I hear those gentle voices calling,”Old Black Joe.” Where are the hearts once so happy and so free? The children so dear that I held upon my knee, Gone to the shore where my soul has longed to go. I hear the gentle voices calling “Old Black Joe.” (chorus) I'm coming,I'm coming,for my head is bending low: I hear those gentle voices calling,”Old Black Joe.” |
わしの心が若くて陽気だった日々はもう過ぎちまった わしの友達もいなくなっちまった この綿花の畑から この地上から もっと素晴らしい土地に行ったんだ わしには聞こえる 静かに呼ぶ声が「オールド ブラック ジョー」と (コーラス) わしも行くよ わしも行くよ 腰も曲がっちまったからな わしには聞こえる 静かに呼ぶ声が「オールド ブラック ジョー」と 胸は痛まんのに 何で涙が流れるのか 友達はもう二度とこないのに 何で溜息が出るのか ありし姿を悲しんでいるのか はるか昔に別れたというのに? わしには聞こえる 静かに呼ぶ声が「オールド ブラック ジョー」と (コーラス) わしも行くよ わしも行くよ 腰も曲がっちまったからな わしには聞こえる 静かに呼ぶ声が「オールド ブラック ジョー」と 心はどこにあるのか、昔幸せで自由だった心は? 膝に乗せてどても可愛かった子供たちも わしが行きたいと願っているあの岸辺へと先に行っちまった わしには聞こえる 静かに呼ぶ声が「オールド ブラック ジョー」と (コーラス) わしも行くよ わしも行くよ 腰も曲がっちまったからな わしには聞こえる 静かに呼ぶ声が「オールド ブラック ジョー」と |
緒園涼子(リョウコではなくてリョウシです。男性なのですね)の名訳によって今でも歌われているフォスターの1860年の名歌曲。こちらも原詞を紐解いてみようと思います。古い英語はよく分からないところもありましたがおおよそこんな感じかな、ということでお恥ずかしながら掲載します。綿花のプランテーションで働く虐げられた黒人奴隷たちにとっては長生きすることよりも早くあの世に行ってしまうことこそが幸せなことであったのですが、そんな中で図らずも自らの子供たちよりも長く生きてしまったジョーの気持ちは如何に。淡々として明るいメロディですが何とも悲しい内容です。いや黒人奴隷に限ったことではなく、老いていく中でただ一人残される悲しみというのは人間であれば誰しも感じるところかも知れません。
この曲はまだ結婚前のフォスターが、のちの奥さんとなるジニーの家を1850年頃訪れたとき、そこで働いていた黒人の召使のジョーに「お前の曲を書くよ」と約束したのを10年後に果たしたものだと言われています。
黒人をテーマにした歌ではありますが、ここにはもう黒人の訛りは全く使われていないことがまず目を引きます。確かにこの頃になりますとフォスターにとっても黒人訛り満載のミンストレル・ショーのための歌やプランテーションソングは激減していますのでそういう扱いをするのも不思議ではないのですが、老いた黒人のモノローグであることを思うと訛りが使われないというのはやはりこの曲は特別なのでしょうか。何とはなしに興味を引くところです。
( 2007.11.30 藤井宏行 )