Nelly Was a Lady |
ネリーはレディだった |
Down on de Mississippi floating, Long time I trabble on de way, All night de cotton wood a toting, Sing for my true lub all de day. (chorus) Nelly was a lady Lastnight she died, Toll de bell for lubly Nell My dark Virginny bride. Now I'm unhappy and I'm weeping, Can't tote de cotton wood no more; Last night,while Nelly was a sleeping, Death came a knockin at de door. (chorus) Nelly was a lady Lastnight she died, Toll de bell for lubly Nell My dark Virginny bride. When I saw my Nelly in de morning, Smile till she open'd up her eyes, Seem'd like de light ob day a dawning, Jist 'fore de sun begin to rise. (chorus) Nelly was a lady Lastnight she died, Toll de bell for lubly Nell My dark Virginny bride. Close by de margin ob de water, Whar de lone weeping willow grows, Dar lib Virginny's lubly daughter; Dar she in death may find repose. (chorus) Nelly was a lady Lastnight she died, Toll de bell for lubly Nell My dark Virginny bride. Down in de meadow mong de clober, Walk wid my Nelly by my side; Now all dem happy days am ober; Farewell my dark Virginny bride. (chorus) Nelly was a lady Lastnight she died, Toll de bell for lubly Nell My dark Virginny bride. |
ミシシッピを浮かんで下りながら 長いこと俺は旅した 一晩中綿の木を運んでは 俺の真の恋人のため一日中歌う (コーラス) ネリーはレディだったさ 昨晩死んじまったけどな 鐘よ鳴れ 愛するネルのために 俺の黒いヴァージニアの花嫁のために 今 俺は不幸だ 俺は涙にくれる もう綿花も運べやしねえ 昨晩、ネリーが眠ってる間に 死神のやつがドアをノックして入ってきやがった (コーラス) ネリーはレディだったさ 昨晩死んじまったけどな 鐘よ鳴れ 愛するネルのために 俺の黒いヴァージニアの花嫁のために 翌朝俺がネリーを見たときにゃ あいつは目をあけて微笑んでいやがった まるで夜明けの日の光みたいだった まだ太陽が昇る前のことだったけどな (コーラス) ネリーはレディだったさ 昨晩死んじまったけどな 鐘よ鳴れ 愛するネルのために 俺の黒いヴァージニアの花嫁のために 川のほとりのすぐそばに ひとりぼっちで泣いている柳が生えてる そこにゃヴァージニアの可愛い娘がいる あいつは死んで そこで安らぎを見つけたのさ (コーラス) ネリーはレディだったさ 昨晩死んじまったけどな 鐘よ鳴れ 愛するネルのために 俺の黒いヴァージニアの花嫁のために クローバーの生えた野原を下り 俺のネリーと一緒に歩いたもんだった そんな幸せな日々も終わっちまった さよなら 俺の黒いヴァージニアの花嫁 (コーラス) ネリーはレディだったさ 昨晩死んじまったけどな 鐘よ鳴れ 愛するネルのために 俺の黒いヴァージニアの花嫁のために |
この翌年に「ネリー・ブライ」という同じネリーという名のつく女性の歌を書いているフォスターですが、あちらは幸せいっぱいの恋の歌なのに対し、こちらはご覧のような歌詞のたいへん悲しい別れの歌でした。
Nelly Was a LadyのLadyというのは貴婦人ということで、奴隷の身分の男の妻には使われることはない呼び方ですが、ここでは妻に先立たれてしまった男の悲しみの深さを表す言葉としてフォスターがあえて使ったのでした。保守的な人々にはかなり物議を醸したのかも知れません。
淡々と長調で歌われますが、湧き出してくるのは深い悲しみ。歌の中身が中身だけに広く知られて歌われることはなかったのかも知れませんが、私はフォスターのプランテーションソングの中でも指折りの傑作のうちに入ると思います。1849年の作品です。なお邦題では「やさしきネリー」とされていることが多いです。
( 2007.11.30 藤井宏行 )