J'allais par les chemins perfides Op.61 La bonne chanson |
ぼくは偽りの道を歩いていた 優しい歌 |
J'allais par les chemins perfides Douloureusement incertain Vos chères mains furent mes guides. Si pâle à l'horizon lointain Luisait un faible espoir d'aurore ; Votre regard fut le matin. Nul bruit,sinon son pas sonore, N'encourageait le voyageur. Votre voix me dit : ``Marche encore !'' Mon coeur craintif,mon sombre coeur Pleurait,seul,sur la triste voie ; L'amour,délicieux vainqueur, Nous a réunis dans la joie. |
ぼくは偽りの道を歩いていた 痛々しいほど不安な気持ちで あなたの優しい手がぼくを導いてくれた 遠くの地平線に青みが射し 夜明けの希望が輝きだした あなたの眼差しが朝となってくれたのだ 音ひとつしなかった、ただひとつ 自分を鼓舞する旅人の足音の他には あなたの声がぼくにいった「もう一度歩くのよ」と ぼくの不安な心、ぼくの沈んだ心は ただひとり、悲しい道で泣いていた そこに愛、素晴らしき勝利者が ぼくたちを結びつけたのだ、歓喜の中に |
粟津則雄氏の訳などでは「不実な」と訳されているperfidesですが、ここでの意味は私が考えるに「世の中では当たり前のように見られているが実はとても危険な」というようなニュアンス、私が「不実」という言葉から受けるイメージとはかなり違います。しっくりした日本語が思いつかなかったのですが「偽りの」と訳しました。なお堀口大学訳では「つれなき世路」となっており、このニュアンスのある一面は見事に捉えているようにも思えますが、何といいますか自分がはまっていく危険さといった感じがちょっと足りないようにも感じます。
この詩は実は詩集では最後から2番目でほとんど締めくくりの位置にある曲なのですが、沈んだイメージが強いです。それぞれ3行からなる連はそのはじめの2行が自分の行動や周囲の状況、それを受けて最後の1行では恋する人の姿や言葉が示されています。現実の辛さや厳しさが恋人の登場と共に一変してしまったというのがポイントでしょうか。
愛が表れた一番最後では1曲目の「聖女様」でも聴かれた印象的なメロディがまた現れてきて、この愛というのが恋人その人であることを暗示します。そして最後は力強く終わります。
( 2007.11.09 藤井宏行 )