Tis the last rose of summer |
夏の名残のバラ |
Tis the last rose of summer, Left blooming alone; All her lovely companions Are faded and gone; No flower of her kindred, No rosebud is nigh, To reflect back her blushes, Or give sigh for sigh. I'll not leave thee,thou lone one, To pine on the stem; Since the lovely are sleeping, Go sleep thou with them. Thus kindly I scatter Thy leaves o'er the bed Where thy mates of the garden Lie scentless and dead. So soon may I follow, When friendships decay, And from Love's shining circle The gems drop away! When true hearts lie withered, And fond ones are flown, Oh! Who would inhabit This bleak world alone?. |
夏の最後のバラ、 ただ一輪残されて咲いている 彼女の親しい仲間たちは みな色あせて世を去り 彼女の一族の花もなく 花のつぼみさえもそばにない 彼女の恥じらいを見つめるものも、 溜息を分かち合うものさえも 私はお前を放っては置かぬ、孤独な花よ、 この茎の上でやつれさせはせぬ 親しきものたちは眠っている、 だからお前も一緒に眠りにつくがよい 寝床に優しく撒いてあげよう 私はお前の花びらを 庭に咲いていたお前の友たちが 香りなく死して横たわるその床に すぐに私もお前に続こう、 友たちが死にゆき 愛の輝く指輪から その宝石がこぼれおちた時には! 真心を持つ人たちが斃れ 親しき人たちが去った時には おお!誰がたったひとりで生きられようか こんな荒涼たる世に? |
日本では「庭の千草」という題で冬の始まりの庭にただ一輪の白菊が楚々と咲いている情景を歌っていますが、18世紀アイルランドの民謡詩人トマス・ムーアが書いたもとの歌詞はご覧のようにたいへん耽美的で濃厚なものでした。それはひとえに花がバラであることと、季節が暑さにむせ返るよう晩夏であることがその理由でしょう(実際はアイルランドの晩夏ですからだいぶ秋っぽいのでしょうけれども)。ひとり庭に咲いているバラの花が不憫だからそれを摘み取り、その花びらを仲間の眠っている庭の土に撒く...そして「この世には私も長くはいない、すぐに後を追うよ」とつぶやく。なんだか渡辺淳一の小説にでもありそうな情景ですね。晩秋の白菊の清楚なイメージでこのメロディを刷り込まれている日本人にはこの歌詞はかなり強烈なのではないでしょうか。
もっとも、音楽の方は「ああ白菊」と歌われていても違和感のないような楚々としたところもありますから、明治時代にこのメロディを聴いてこういった歌詞を書いた明治の国文学者・里見義(ただし)の感性、そしてこうして現在に至るまで歌い継がれるものにした功績は素晴らしいと思います。明治17年に学校の唱歌にするために作られたというこの里見義の詞はネットで探せばあふれかえっていますのでここでは掲載はしません。ご了承を。
メロディの方ももともとは別の詞が付いた民謡だったようですので、ムーアの詞とミスマッチ気味のところがあるのもある意味当然なのかも知れません。
この曲はフロトウのオペラ「マルタ」の中で印象的に取り上げられているのが最も有名でしょうか。またベンジャミン・ブリテンが彼のイギリス民謡集の中の一曲としてピアノ伴奏に編曲しているものも容易に聴くことができます。私はジョン・サザーランドがしみじみと歌っていた録音(Decca)が印象に残っています。
( 2007.08.26 藤井宏行 )