Våren Op.33-2 12 melodier til Digte af A.O. Vinje |
春(過ぎた春) ヴィニエの詩による12の旋律 |
Enno ein Gong fekk eg Vetren å sjå for Våren å røma; Heggen med Tre som der Blomar var på,Eg atter såg bløma. Enno ein Gong fekk eg Isen å sjå frå Landet å fljota. Snjoen å bråna og Fossen i Å at fyssa og brjota. Graset det grøne eg enno ein Gong fekk skoda med Blomar; Enno eg høyrde at Vårfuglen song mot Sol og mot Sumar. Så giddren endå meg unntes å sjå på Vårbakken dansa, Fivreld å fløksa og fjuka ifrå der Blomar seg kransa. Alt dette Vårliv eg atter fekk sjå,som sidan eg miste. Men eg er tungsam og spyrja meg må:Tru det er det siste? Låt det so vera: eg mykje av Vent i Livet fekk njota; Meire eg fekk,enn eg hadde fortent og Allting må trjota. Eingong eg sjølv i den vårlege Eim,som mettar mit Auga, Eingong eg der vil meg finna ein Heim og symjande lauga. Alt det,som Våren imøte meg bar og blomen,eg plukka, Federnes Ånder eg trudde det var,Som dansa og sukka. Derfor eg fann millom Bjørkar og Bar i Våren ei Gåta; Derfor det Ljod i den Fløyta eg skar,meg tyktes å gråta. |
また再び冬が逃げ去り春に時を譲るのを私は見る 去年花で一杯だったサクランボの木も また花で一杯だ また再び氷が消えて 大地が姿を現すのを見る 雪が溶けて滝のような水は ほとばしり流れる 緑に萌える草はまた再び 花と共に現れ出でて また聞こえてくる春の鳥たちの声は 太陽に、そして夏に向かっていく 輝く光が再び春の丘で踊っているのを私は見る 蝶たちはひらひらと飛び交い花を揺らしている 私がこの春の息吹に見るのは長い間なくしていたもの だが私は憂鬱に自分にこう問いかけるだろう「これで最後なのか?」 なるようになればいい、私はそれでも生命の息吹を感じるのだから この春を味わいつくし そしてすべてが終わるのだ 一日中、春の香りに浸って わが目をうるおし 一日中くつろいで 春を体一杯に浴びる 春が私にもたらしてくれるのは 摘み取った一輪の花 祖先の魂が踊り、吐息をついている そんな風に思える だから白樺ともみの木の間には 春には謎があり 私の削り出した笛の音は すすり泣くように訴えてくるのだ |
弦楽合奏のための「2つの悲しい旋律」の一曲としてグリーグの作品の中でも有名な曲のひとつですが、元は歌曲です。
明るい春の息吹を感じながら、なぜか悲しい気持ちになるのは、人生の無常に思いを馳せているからでしょうか。旋律は決して短調にはならないのに、にじみ出てくる悲しさはとても深いものがあります。
日本人だと「桜散る」ときの感覚でしょうか。
歌は余韻を残しながら静かに終わります。
フォン・オッターの深みのある歌唱(DG)
バーバラ・ボニーの淡々とした味わい(Decca)、
アルネセンの清楚ななかに無垢な悲しみを湛えた歌(Naxos)
どれも素敵な春の贈り物です。
ピアノ伴奏でなく、弦楽合奏によるものも味わいが深くて良いです。これだと往年の大歌手、フラグスタートのものがありましたっけ。かなり歳を取ってからの録音なのでまさに人生の深みの味わいかと。
このスタイルの録音では、他に私はノルウエーのベテラン、レファースの入れたものが気に入っています。
(2004.05.16)
ノルウェー語を付け焼刃で勉強したので、過去の訳も見直そうということでこの「春」も手を付けてみたものの全く歯が立ちませんでした。といいますのも実はノルウェー語には大都市部を中心に9割近い国民によって話されているプークモール(リクスモール)というデンマーク語に近い言葉と、主として各地の方言を元に作られたニーノシュク(ランスモール)という言葉の2種類があり、この「春」は後者で書かれているのでした。ですから日本語で言えば標準語レベルの勉強を小学校1・2年レベルまでしかやっていない人間がいきなり津軽弁バリバリの民謡を訳そうとするようなものですから辞書を一所懸命引いても???となってしまうのは必然と言えましょう。
このヴィニエという詩人はこのニーノシュクで詩を書くことにこだわった人のようです。
このグリーグの付けた12曲に使われているのもこの言葉、たぶん他のヴィニエの曲にはもう手がでないだろうな、とすっかり怖気がついてしまっているところです。
更にまいってしまったのは、この詩、ネットで検索すると4連からなっているのですね。通常はこのうち最初と最後の連だけが歌われるのですが、まれに第3連が間に入って歌われることがあります(私の手持ちではロジェストヴェンスキー指揮ストックホルム響の伴奏にソプラノのクリンゲボルンが歌ったChandos盤がそうでした)。そこでこれを訳そうとしたら更に悩ましい状況になってしまいました。何しろ第3連に関しては原詩の字の綴りさえも出典によってまちまちなのでどれが正しいか分かりませんし、よしんば分かっても訳せません。ChandosのCDの英語や独語の対訳は手抜きでPeters版の楽譜の歌える訳詞を引っ張ってきているものですから、全然原詞と対応が取れていないのは素人目にも分かります。
ということで2重にも3重にもハンデを背負いながら、色々な情報も集めつつ何とか訳してみたのが上のものです。特に確かな情報が少ない真ん中の連はとんでもなく珍妙な訳になっている可能性が高いですが、私が苦労したのと同じように多くのノルウェー語のわからないグリーグ歌曲のファンの方は歌詞にこだわろうとすると同じように苦労されるところかと思いますので、ちょっとはお役に立てるかということでUPします。もっとノルウェー語に詳しい方の添削をぜひともお待ちしております。
( 2007.03.16 藤井宏行 )