デモクラシー節 |
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労働神聖と口ではほめて コリャコリャ おらに選挙権何故くれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 稲は誰(た)が刈る木は誰がきこる コリャコリャ おらに選挙権何故くれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 石炭掘りゃこそ機械が動く コリャコリャ おらに選挙権何故くれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 血潮流して連隊旗とれた コリャコリャ おらに選挙権何故くれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 軍艦たたいて進水させた コリャコリャ おらに選挙権何故くれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 親のすねかむ薮蚊にくれて コリャコリャ おらに選挙権何故くれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 汗から絞らぬ租税があるか コリャコリャ おらに選挙権なぜくれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー どこの梅でも東風吹きゃ匂う コリャコリャ おらに選挙権なぜくれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 雲雀啼いても天まで届く コリャコリャ おらに選挙権なぜくれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー 萬機公論とのたまうじゃないか コリャコリャ おらに選挙権なぜくれぬ ヨーイヨーイ デモクラシー |
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丹波・篠山の民謡・デカンショ節に乗せて延々と歌われるこの歌、大正の半ば頃に庶民の間でも盛んになった普通選挙運動にあわせて大阪の演歌師・倉持愚禅が詞を書き、全国で広く歌われたといいます。当時は選挙権はある一定以上の租税を納めている人など、ごく限られた人だけのものでした。「親のすねかむヤブ蚊にくれて」とあるように世襲制で受け継がれていたことなどもあり、国民の総意を反映するものではありませんでした。
大正のはじめは第一次大戦の特需などもあり、日本全体が急激に豊かになった時代。一部の人間だけで政治を決められてしまうことに対する不満も高まった時期ではあるのでしょう。
翻って普通選挙が実現した昭和の世ではどうだったのでしょう。さらに最近に至っては投票率が20・30%などというような選挙はざらで、この歌に聴かれるような熱情はなんだったのだろう、と思えてなりません。
当時の農民や工場労働者、下級兵士や炭鉱夫たちがこんなに切実に願っていたのなら、その子孫が得られた権利を粗末にしてはバチが当たりますね。さて今月末の参院選、投票率はいかに?
歌詞にはあまり解説は必要ないかと思いますがひとつだけ補足。最後の節の「萬機公論」というのはなんと明治元年、維新の新政府が出した「五箇條ノ御誓文」の最初に出てくる「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」のことを言っています。
歌われるうちに演歌師たちによって次々と新しい歌詞が付け加えられていったであろうこの歌、ここで掲げたものがオリジナルというわけでもないと思います。この歌詞は大正8年に演歌師・秋山楓谷が妻・静代とのデュエットで吹き込んだものから(Colombia・ニッポノホン原盤)。彼は危険思想の持ち主と言われて治安当局からも監視されており、その後自ら死を選びます。まさに命を賭けた歌。お世辞にも歌は上手とは言いかねますし、これだけ延々と同じメロディが繰り返されると聴き疲れてしまうところもありますが、歴史のメッセージとしてじっくり聴くことも決して悪くありません。この熱が日本からいったいいつ消えてしまったのか(普通選挙施行が大正14年(1925)、しかし女性の参政権はそれから更に遅れ戦後を待たねばなりませんでした)これを聴きながら考えてみてはいかがでしょう。
最近では「ソウル・フラワー・モノノケサミット」のインパクトのある歌が印象的でした。彼らもこの秋山楓谷・静代の歌にインスパイアされたようです。しかしこういう歌を平成のロックバンドが取り上げること自体が実に素晴らしい。
デカンショ節自体もそんなに古い歌ではないようで、流行は明治の末頃のようですね。調べてみるといろいろ面白いです。
ご当地篠山市のサイトに大変くわしいところがありましたのでご紹介します。
http://www.city.sasayama.hyogo.jp/dekmain.html
デカンショデカンショで半年暮らす
あとの半年寝て暮らす
( 2007.07.14 藤井宏行 )