Luonnotar Op.70 |
ルオンノタール |
Olipa impi,ilman tyttö, Kave Luonnotar korea, Ouostui elämätään, Aina yksin ollessansa, Avaroilla autioilla. Laskeusi lainehille, Aalto impeä ajeli, Vuotta seitsemän sataa Vieri impi veen emona, Uipi luotehet,etelät, Uipi kaikki ilman rannat. Tuli suuri tuulen puuska, Meren kuohuille kohotti. “Voi,poloinen,päiviäni. Parempi olisi ollut Ilman impenä elää. Oi,Ukko,ylijumala! Käy tänne kutsuttaissa.” Tuli sotka,suora lintu, Lenti kaikki ilman rannat, Lenti luotehet,etelät, Ei löyä pesän soia. “Ei,ei,ei. Teenkö tuulehen tupani, Aalloillen asuinsiani, Tuuli kaatavi, Aalto viepi asuinsiani.” Niin silloin veen emonen, Nosti polvea lainehesta. Siihen sorsa laativi pesänsä, Alkoi hautoa. Impi tuntevi tulistuvaksi. Järkytti jäsenehensä. Pesä vierähti vetehen, Katkieli kappaleiksi. Muuttuivat munat kaunoisiksi: Munasen yläinen puoli Yläiseksi taivahaksi, Yläpuoli valkeaista, Kuuksi kumottamahan, Mi kirjavaista, Tähiksi taivaalle, Ne tähiksi taivaalle. |
ひとりの乙女がいた 大気の娘 この上なく麗しきルオンノタール 長く彼女は純潔を守り ただひとりで暮らしていた この広大な荒地の中で 波立つ海へと下り 娘は体を水に浸した それより七百年の間 この娘、水の母は漂った 北の方、南の方へと泳ぎ あらゆるところへ向かって泳いだ そこへ激しい風が吹きつけ 海より泡を巻き上げた 「ああ なんてひどい私の運命! 昔はもっと良かったのに 大気の娘でいた頃は おおウッコ 偉大な神よ! 求めるときには来ておくれ!」 そこへやって来たのはカモ、大胆な鳥 あらゆるところへ向かって飛び 北の方、南の方へと飛び回った 巣作りの場所が見つけられずに 「だめ だめ だめ 私は風を住みかにしなくてはならぬのか 波の上を住みかにしなくてはならぬのか 風は巣をひっくり返し 波は巣を洗い流してしまうだろう」 そこで水の母は 波の上へと膝を出したので カモはそこに巣を作り 卵を抱くことができた 娘は膝が熱くなったので 体をひねったところ 卵は水の中へと転がり落ち ばらばらに砕け散った かけらは良きものへと変わった 卵の下半分は 高き天となり 白身の上半分は 光輝く月となった 残りの明るいところからは 天の星たちが 天の星たちが生まれた |
フィンランドの叙事詩カレワラの冒頭、天地創造の場面に出てくるのは大気の乙女ルオンノタールです。
ルオンノタールとは「自然の娘」の意味とのことですが、一般にはもうひとつの名であるイルマタル(こちらは大気の娘の意)の方がよく通用するようです。ネットではこちらで検索した方がより多くの情報を得ることができました。
天地創造とは言いながら既に空と海は存在し、その間を彼女は長い年月漂っています。海に浸かった時に彼女は処女懐胎するのですが、それから700年もの間その子を産み落とすことができませんでした。
歌詞に出てくる彼女の嘆きは、大気を漂っていた娘の頃の自由さを懐かしみ、海に浸かってお腹になかなか出てこない子を宿した母となってからの苦しみを歌っているのでしょう。ウッコというのはこの神話カレワラに出てくる至高神。天空や気象、農耕を司る年老いた男の神なのだそうです。一説によればこの天地創造のシーンはカレワラを採集した学者リョンロットが、キリスト教の聖書と対応付けるために自ら創作した部分だ、という記述もありましたがそこは十分確認できておりませんので言及するのみに留めます。
カレワラの原典ではこのルオンノタールの登場から卵が割れて月や星が生まれるまで140行くらいの詩が書かれているのですが、シベリウスが曲を付けた歌詞はそこから飛び飛びに言葉を拾い出して繋げ、上にお示ししたような超ダイジェスト版にしています。従ってこの処女懐胎の部分がカットされたり、膝が熱くなって卵を振り落とすに至った理由がよく分からなくなったりしていますけれども、大筋の流れは割と見事に拾われていますでしょうか。大気の娘が突然水の母と呼ばれていたり、話の展開が大変に早いのはそういうわけですのでご了承のほど。
古いフィンランド語で書かれていますので翻訳は私にはほとんど不可能なのですが、ネットを探すとカレワラ原詩の詳細な英語対訳や、日・英語でのカレワラの解説をしているサイトを多数見つけることができましたので、それらを参照させて頂きながらフィンランド語の辞書をところどころ引きつつ仕上げてみました。
この音詩「ルオンノタール」、管弦楽とソプラノ独唱のために書かれていますが独唱のパートは歌いこなすのがかなり難しそうです。しかも歌詞がフィンランド語ですので、言葉のカベもあって歌いこなせる人はそう多くはないのではないでしょうか。ギネス・ジョーンズ(アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団)やフィリス・カーティン(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニック)といった北欧以外の出身の人たちが健闘している録音もありますけれども、やはり主流は北欧出身のソプラノたちでしょうか。
スウェーデン出身のエリザベス・ゼーダーシュトレーム(ウラジミール・アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団)やマリア・ヘッガンデル(ヨルマ・パヌラ指揮エーテボリ交響楽団)といった人や、地元フィンランド出身ではカリタ・マッティラ(サカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団)やソイレ・イソコスキ(ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団)といった人たちがそれぞれ素晴らしい演奏を聴かせてくれます。
冒頭、管弦楽が鳴るか鳴らないかのうちからソプラノが歌いだすメロディはシベリウスの交響詩でよく聴かれるトレモロの上でひそやかに、しかし決然とこの乙女の登場を物語ります。鴨が登場するところでの木管による飛翔するような速いパッセージも印象的。この鴨の嘆きのところでブラスが咆哮しひとつのクライマックスを作ります。それにくらべると空の星や大地が創造された終結部はあっけないほど穏やか。10分足らずの小曲ですがシベリウスの持つ音楽スタイルが多彩に詰まっていてとても興味深い音楽でした。
合唱作品はともかく、意外とシベリウスの歌曲作品にはこんな感じのフィンランドの伝承に基づく物語詩によるものがないのです。それは彼が主にスウェーデン語の詩に歌をつけていたということもあるのかも知れませんが面白いところです。
( 2007.06.09 藤井宏行 )