La flûte de pan L 90 Chansons de Bilitis |
パンの笛 ビリティスの歌 |
Pour le jour des Hyacinthies, Il m'a donné une syrinx faite De roseaux bien taillés, Unis avec la blanche cire Qui est douce à mes lèvres comme le miel. Il m'apprend à jouer,assise sur ses genoux ; Mais je suis un peu tremblante. Il en joue après moi,si doucement Que je l'entends à peine. Nous n'avons rien à nous dire, Tant nous sommes près l'un de l'autre ; Mais nos chansons veulent se répondre, Et tour à tour nos bouches S'unissent sur la flûte. Il est tard ; Voici le chant des grenouilles vertes Qui commence avec la nuit. Ma mère ne croira jamais Que je suis restée si longtemps A chercher ma ceinture perdue. |
ヒアキントスのお祭りの日 あの人はあたしにパンの笛をくれたの きれいに切りそろえた葦を 白いロウでくっつけてあって あたしの唇にはハチミツのように甘いのよ あの人は吹き方を教えてくれた、あたしを膝の上に乗せて あたしはちょっと震えてたわ あの人はやさしく吹いたの、あたしが吹いたあとで ほとんどあたしには聞こえないくらいに ふたりともなんにも喋らなかった 互いに体を寄せ合ってた でも笛の音はずっと響き続け、 かわるがわるにふたりのくちびるは 笛に触れた もう遅い、 青蛙たちの歌が聞こえてきたわ 夜がきてしまった ママは信じてくれないでしょう こんなにも時間がかかってしまったなんて言い訳は なくした帯を探すために |
ヒアキントスのお祭というのは古代ギリシャで、ちょうど毎年5〜6月に3日間ほど催されていたのだそうですね。歌の中でも「青蛙の声が聞こえてきた」とありますので確かに夏祭のイメージです。スパルタの王子ヒアキントスは美しい少年だったそうですが、彼に惚れていた太陽の神アポロンと円盤投げで遊んでいた時に嫉妬した西風の神ゼピュロスのいたずらで、アポロンの投げた円盤を頭にぶつけて死んでしまいます。そんな不幸な事故で亡くなってしまった王子の霊を慰めるお祭がこのヒアキントスの祭でしょうか。余談ですがこのときヒアキントスの流した血から生まれた花がヒアシンスなのだそうです。
ドビュッシーの友人ピエール・ルイスがこの詩を含む140編あまりの散文詩集「ビリティスの歌」を発表したとき、これらの詩は紀元前6世紀の架空のギリシャの女性詩人ビリティスの手になるものだと称しておりました。そういう意味で古代ギリシャの風習やしきたりを模し、また愛の表現も大胆(と言いますかルイスの触れ込みではサッフォーとも親交があった女流詩人ということでしたので、ビリティスの愛の相手は女性、つまりレズピアンであったのです)でした。
もっともこの詩ではil(彼)を使っていますので、葦笛を代わる代わる吹きながら間接キッスしているのが女の子同士というわけでは残念ながらないようです(もしそうだったら物凄い情景ですが)。少女時代のビリティスはまだ禁断のレズの世界は知らず、こうしてカッコイイ男の子とも恋に落ちていたということなのでしょう。
ドビュッシーの音楽は官能的・退廃的な響きすら感じさせるところがあるのですが、こと作曲家本人のセクシャリティに関しては至極真っ当だったようで、倒錯の愛を描写するルイスにやがてついていけなくなってしまったようです。それでもこのビリティスの歌の第1曲などは倒錯ではないですけれど、聴いていてもものすごいインパクトです。ピアノ伴奏に聞こえる穏やかな東洋風のフレーズはまさにふたりでかわるがわる吹いているパンの笛の紡ぎだすメロディでしょう。
( 2007.05.19 藤井宏行 )