踏青 |
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南園春半踏青時 風和聞馬嘶 青梅如豆柳如眉 日長蝴蝶飛 花露重 草煙低 人家簾幕垂 鞦韆慵困解羅衣 畫梁雙燕棲 |
南の国の庭にようやく春が来て そぞろ歩きの季節だ 和やかな風は馬のいななきを運んでくる 青い梅の実は豆のようだし 柳の若葉は眉のようだ 長くなった日の下で 蝶々がひらめいて飛ぶ 花は露で重く 草煙は低くたれこめる よその家にはカーテンが下ろされ ハンモックに薄着の人が物憂げに寝そべっている 彩られた梁には二羽のツバメが巣を作っている |
当時は日本の一部であった台湾で1910年に生まれた作曲家・江文也(Jiang Wenye 他にも色々綴られているようですがこれが最も標準的なようです)は13歳で来日し、1932年にはバリトン歌手としてデビューを果たします。そして山田耕筰や橋本國彦に作曲を学び、戦前・戦中は日本で作曲家としてのキャリアを積んでいきます。あちこちの公共図書館にローム・ミュージックファウンデーションというところがSP復刻のCDを寄贈されていますので見かけられた方も多いのではないかと思いますが、彼の自作自演による「第二生蕃歌曲集」(詞はなぜか佐伯孝夫です。ちなみに生蕃というのは台湾の先住民族)から1曲「牧歌」と、あといくつかのピアノ曲が収録されているものがありますので機会がありましたら聴いてみてください。
1938年より北京の師範大学で音楽の教授となっていた関係で1945年の日本敗戦で彼は中国に留まり、その地で作曲家、音楽大の教授を続けます。中国に渡った理由はやはり自らの音楽的アイデンティティを求めるためのようで、実際彼はここで中国の伝統文化を積極的に吸収しています。
中華人民共和国成立後もそのまま留まり、音楽教育に作曲にと活躍されていたようなのですが、不幸なことに1957年からの反右派闘争、そして1966年の文化大革命の中で日本帝国主義の手先のレッテルを貼られて教授職を追われた上にかなりの作品の楽譜を焼かれ、そして農村へと下放されました。
文革終結後の1978年に名誉回復がなされましたが、もう彼には再び作曲できる時間はあまり残されていませんでした。1983年に北京で亡くなっています。
2004年の日本映画「珈琲時光」で取り上げられたりもしたこともあり、最近は日本でも彼のピアノ曲作品は再び聴かれるようになってきているようです。またソプラノの藍川由美さんが「アジアのうたごえ」というCDで彼の日本時代に書かれた歌曲を取り上げたりしているようですが、さすがに言葉の壁からか、彼が中国に戻ってからの声楽作品に目を向けられる方は多くないでしょうか。彼の作品リストを眺めてみると1940〜50年代にかけてけっこうな数の唐や宋の時代の詩に付けた歌曲があるのです。まさに自らのルーツ探しの旅の中でこれらに出会い、そして沸き出でてきたメロディをこれら伝統詞に付けていったということなのでしょうか。
http://tamsui.yam.org.tw/tsmc/tsmc0007.htm 江文也の作品表です
残念なことにこれらは、私が現在まで探したところではほとんど録音としては聴くことができないようです。唯一見つけて聴くことができたのは中国のソプラノ歌手、郭淑珍が歌っている「踏青」と「江村即事」の2曲(shopping.jchere.com/list-sort-1335.htm で在庫があれば入手できるかと思います)のみ。ですがこの2曲だけでも江文也の素晴らしいメロディは堪能できます。おそらくこれも1950年頃の作品だと思いますが、作品番号などは特定できませんでした。
ここではそのうち、今の季節にぴったりな「踏青」の方を取り上げて訳してみます。
この詩、北宋時代の大詩人のひとり歐陽修(1007-1072)の詩「阮郎歸」に付けています。残念なことに日本語で訳されているものを見つけることができませんでしたので、けっこうでたらめな訳になっていると思いますが(特に後半)、それでもまあ雰囲気だけでも感じ取っていただければと思いUP致します。
「踏青」というのは俳句の季語にもなっているようですが、春の野山に出て若草を踏み歩きながらハイキングすること。蝴蝶は日本語だと胡蝶となるところですかね。鞦韆(しゅうせん)はすごい難しい字ですが、「秋千」とも書いてぶらんこのこと。畫?(画梁)に二羽のツバメが巣を作る、というのは漢詩でもけっこうよく取り上げられるテーマなようです。
ピアノがきらめくオルゴールの様な高音のメロディを奏でる中、穏やかな響きのソプラノがなんとものどかな歌を聴かせてくれるのは、中国語の響きもあいまって本当に心が和みます。この郭淑珍さんというソプラノ、日本の歌手のタイプでいうと伊藤京子さんのような感じの人なのでこんな抒情曲はすごく合っています(実際このCD、團伊久磨の「夕鶴」のアリアを日本語で歌われてるのも収録しています。日本語に聴こえないのが愛嬌ですけれど...これだけでなくリリックなソプラノのための有名なアリアを色々収録してますがどれもしみじみと聴けて私は好きな歌でした。ドヴォルザークのルサルカのアリアなんて最高です)。
この歌は非常に短いので、録音では2回繰り返して歌われています。
ちなみに1953年に彼が書いたピアノ「郷土節令組曲詩曲」Op.53にも「踏青」というタイトルの曲があります。まだ耳にできてはいないのですが、もしかしたらこの歌と同じメロディの可能性もあります。
またこちらは唐の詩人・司空曙の詩に付けた「江村即事」の方もいずれUPします。こちらは日本でも有名な詩のようで検索するとけっこう日本語のサイトが見つかりました。唐詩と宋詩のポピュラリティの差もあるとは思いますけれども...
( 2007.03.27 藤井宏行 )