どこかで春が |
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どこかで春が うまれてる どこかで水が ながれ出す どこかで雲雀(ひばり)が 啼いている どこかで芽の出る 音がする 山の三月 東風(こち)吹いて どこかで春が うまれてる |
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草川信の穏やかなメロディにのせて、これからやってくる春の兆しをそこかしこに感じ取る喜びがしみじみと溢れてきます。大正期に作られた古い童謡の中にあってもこれは今でも歌い継がれているもののひとつです。ただ言葉は古くなったからでしょうか。私が小学校時分に聞いて覚えていた歌詞は「東風(こち)吹いて」ではなくて「そよかぜ吹いて」だったりしますので、ここだけはオリジナルの詞で歌われるのを聴くと違和感を感じますけれども。
この詞を書いた百田宗治(ももたそうじ 1893-1955)は大阪出身の詩人、20代の頃は人道主義・民衆派の詩人としてプロレタリア文学などにもかかわりながら活躍していたのだそうですが、およそ30歳を境にして内省的で静かな作風へと転じたのだそうで、この歌の歌詞などもまだ20代後半の作品ですけれども美しい叙情性に満ちています。彼の詩作を詳しく調べたわけではないですが、おそらくこれが今や彼の一番の代表作となっているでしょうか。
この曲はまず詩が大正12年3月の雑誌「小学男生」に掲載され、のちに曲が付けられたのだそうです。同じ草川の「揺籠の歌」でも感じたことですが、メロディにはまるで古めかしさを感じず、本当にごく最近書かれた子供の歌のような新鮮さ。とても80年以上も前の作品であるとは信じられません。
山の3月はまだまだ冬のように寒いのでしょうけれども、そこかしこに春の兆しが現れてきている。
ほんのわずかな季節の変化を感じ取る詩人の繊細さと、やさしいまなざしを歌に注ぐ作曲家のすばらしいコラボレーション、日本の童謡の中でも屈指の名曲だと私は思います。
草川信の出身地は長野だそうです。これは彼のふるさとを歌う歌でもあるのでしょうか。
( 2007.03.02 藤井宏行 )