Hälfte des Lebens Op.61-5 Sechs Hölderlin-Fragmente |
生半ば 六つのヘルダーリン断章 |
Mit gelben Birnen hänget Und voll mit wilden Rosen Das Land in den See, Ihr holden Schwäne, Und trunken von Küssen Tunkt ihr das Haupt Ins heilignüchterne Wasser. Weh mir,wo nehm ich,wenn Es Winter ist,die Blumen,und wo Den Sonnenschein, Und Schatten der Erde? Die Mauern stehn Sprachlos und kalt,im Winde Klirren die Fahnen. |
黄色の梨実り 野薔薇咲き満ちて 大地は湖水に迫る 汝ら優婉なる白鳥たち 口づけに酔いしれ 清冽なる水に その首を浸す 哀しいかな、何処で摘む、冬が 来たれば花々を、何処に 陽光は、 そして地の蔭は? 壁が聳える 言葉無く冷たく、風の中 軋めく風見 |
ヘルダーリンの作品中でも名高い名詩のひとつです。1798年作だった前4曲の5年後、1803年、最愛の恋人ディオティーマことズゼッテ・ゴンタルト夫人急逝翌年の作。
天上的に美しく流麗な前半と、不規則でごつごつしたリズムの後半との極端な対比。秋に実る梨、春に咲く野薔薇、冬の白鳥が同時にある世界、これは架空の理想郷、あるいは美化された過去であり、仲睦まじく清らかな二羽の白鳥は詩人と恋人ディオティーマの象徴でしょう。そしてひとり残された孤独の深さと、これから迎える不毛の後半生への怖れ。ヘルダーリンはこの頃から精神を病み、翌年には再起不能なまでに悪化して、結局狂気のまま半分よりもさらに長い40年もの後半生を送りました。
最終行の擬音語” klirren”について、『ドイツ詩必携』(鳥影社)の著書山口四郎氏は、風見を「明らかにブリキ製!」とした上で、「一般訳の『風になる 屋根の風見は』ぐらいでは、”klirren”なる語のかもす感じは到底伝え得ない。」としています。しかし「からから」とか「きりきり」とかを使うのもどんなものかと思っていたところ、「軋む」の語源が「きしきし音をたてる」という擬音語であることに気づいて、これを使ってみました。
ブリテンの曲は全編陰鬱で空虚な気分に覆い尽くされ、後半に焦燥感が高まり、解決しない終結が圧巻です。前の曲が明るく軽快で、次が荘重壮大な配列も効果的です。
この歌曲集の録音は極めて少ないようで、今のところ全曲はピアーズとブリテン、パドモアとヴィニョールの二種しか入手できていませんが、この曲だけには白井光子さんの録音が存在します。初期の名盤『ヘルダーリン歌曲集』(独signam→カプリッチョ)に入っており文句なしの名唱ですが、これだけ単独で歌うといささか晦渋な感じがします。全曲を収録しなかったのが残念です。
( 2007.01.23 甲斐貴也 )