Jeanie with the Light Brown Hair |
明るい茶色の髪のジニー |
I dream of Jeanie with the light brown hair, Borne,like a vapor,on the summer air; I see her tripping where the bright streams play, Happy as the daisies that dance on her way. Many were the wild notes her merry voice would pour. Many were the blithe birds that warbled them o'er: Oh! I dream of Jeanie with the light brown hair, Floating,like a vapor,on the soft summer air. I long for Jeanie with the day dawn smile, Radiant in gladness,warm with winning guile; I hear her melodies,like joys gone by, Sighing round my heart o'er the fond hopes that die: Sighing like the night wind and sobbing like the rain, Wailing for the lost one that comes not again: Oh! I long for Jeanie,and my heart bows low, Never more to find her where the bright waters flow. I sigh for Jeanie,but her light form strayed Far from the fond hearts round her native glad; Her smiles have vanished and her sweet songs flown, Flitting like the dreams that have cheered us and gone. Now the nodding wild flowers may wither on the shore While her gentle fingers will cull them not more: Oh! I sigh for Jeanie with the light brown hair, Floating like a vapor,on the soft summer air. |
明るい茶色の髪をしたジニーの夢をぼくは見る 夏の空の霞のように湧き出してくる彼女の夢を ぼくは見る、明るい小川のせせらぐほとりを彼女が歩く姿を 足元で踊っているヒナギクのように幸せそうな姿を 彼女の明るい声が紡ぎ出す素敵な歌は 陽気な小鳥のさえずりに溶けあう おお!明るい茶色の髪をしたジニーの夢をぼくは見る 穏やかな夏の空に霞のように漂う姿を 夜明けのような笑顔のジニーにぼくは会いたい 喜びに輝き、あどけない温かさに満ちた笑顔を 喜びが過ぎ去ったかのような彼女の歌をぼくは聞く 希望が去ったかのような心に染みる溜息を 夜風のような溜息と、雨のようなすすり泣き 二度と戻らぬ無くしたものを嘆き悲しむ涙 おお!ジニーに会いたくて、ぼくの心は低く沈む 彼女の涙の溢れる顔はもう見たくない ぼくはジニーを思い溜息をつく、だが彼女の姿は軽やかに漂っていくだけ 彼女の生まれたこの土地の優しい人たちの心から離れて 彼女の微笑みは消え、優しい歌声も飛び去った 私達を勇気付けてくれた夢のように消え去った 今、岸辺に頭を揺らす花は色褪せ 彼女の優しい指先に手折られることもない おお!ぼくは溜息をつく、明るい茶色の髪のジニーを思って 穏やかな夏の空に霞のように漂う姿を |
かなり昔の名翻訳(津川主一氏)「金髪の我がジェニーは」で知られたこの曲ですが、ご存知の通りフォスターの奥さん、ジェーンのことを歌った歌だといわれています。ただ今回訳してみて分かったのは結構悲しい歌なのだなあ、ということでして、このころフォスターは両親を亡くしていたりして落ち込んでいたのが表れているのかなとも勘ぐってしまいます。また名前もこの綴りだとジェニーじゃなくてジニー(もしくはジーニー)が正しいようですし、髪の色も金髪ではなくて明るい茶色(栗毛色)。
タイトルが全然違ってしまいましたので、これではこの曲だと気付かれない方も出るかも知れません。
それと、これ以前の曲は黒人のスラングなんかが入っていたのが、この曲はそうではないのが特徴なのだそうです。
シンプルなピアノ伴奏と素朴なテノール独唱あたりで聴くととてもしみじみしてしまうような詩と曲ではないでしょうか?
フォスターの音楽は偉大なアマチュアリズムともいうべきシンプルさと分かりやすさが命です。F-ペーターさんが掲示板で書かれている通り、彼の音楽は基本的に独唱曲で、「おおスザンナ」や「ケンタッキーの我が家」のような一部の曲がコーラスを伴った独唱曲のようです。彼の生まれたピッツバーグの大学にとても詳しい彼のオンライン博物館が置かれていて、略歴や作品一覧のみならず、歌詞もすべて見ることが出来てとても参考になりました。
http://www.pitt.edu/~amerimus/foster.htm
で、私のフォスターのお勧めですが、もしまだ手に入るのであれば、Nonsuchレーベルから出ていた「フォスターの夜会」(タイトル自信なし)が恐らくオリジナルのスタイルを意識して作られているようでとても良いと思います。
(アメリカ歌曲で絶大の魅力を誇るデガエタニのメゾ他)
もう少しマニアックな方には、南北戦争から1920年代にかけて盛んに行われていたミンストレルというショー(白人が黒人の格好をして歌う、日本で言えばシャネルズみたいなやつ?)を再現したものに収録されているやつが良いと思います。未聴ですがCDNowによればそのものズバリのS.Foster Perlor & Minstrel SongsというCDがありました。
(Albany Records)
なお私が愛聴しているのは、これは更に手に入りにくいかと思いますが、Heliosというレーベルから出ているCreole Belles(クレオールの美人)という企画物です。これはミシシッピ川に浮かぶ船の上の演芸をそっくりそのまま再現するというもので(将に名ミュージカル「ショーボート」の世界!)、フォスターの歌あり、ディキシーランドあり、ゴットシャルク(ゴッチョーク)作の陽気なバンドメロディーあり、果てはスコット・ジョプリンのラグタイムまであります。
通して聴くと、フォスターとジョプリンが意外と近いのに驚かされます。ここではこの「金髪のジェニー」、明るいテナーの独唱(James Griffett)にピアノとヴァイオリンの伴奏が付くという理想的な形で再現されています。
(クレオールといえば黒人と白人の混血のこと、まさにショーボートの悲劇のヒロイン(脇役ですが)、ジュリーのことを思わせます)
なお、この「金髪のジェニー」、実はアメリカのドビュッシーとも言える歌曲王、ネッド・ローレムがアレンジしたやつが、スーザン・グラハムの歌うローレム歌曲集(Erato)の中で聴けて、これもまた面白いです。原曲そのままのメロディーラインと、無茶苦茶精緻になったピアノ伴奏、ドビュッシーがジャズボーカルのスタンダードナンバーを書いた、といった趣でこれはなかなかです。
ローレムの曲のご紹介はまた改めて。
アメリカにもフォスターの後を継ぐ素敵な歌曲作家がこの人をはじめとしてたくさんいます。
いずれまとめてご紹介できれば、と思います。
( 2002.01.05 藤井宏行 )