Sokrates und Alcibiades Op.61-3 Sechs Hölderlin-Fragmente |
ソクラテスとアルキビアデス 六つのヘルダーリン断章 |
“Warum huldigest du,heiliger Sokrates, Diesem Jünglinge stets? kennst du Größers nicht? Warum siehet mit Liebe, Wie auf Götter,dein Aug auf ihn?” Wer das Tiefste gedacht,liebt das Lebendigste, Hohe Tugend versteht,wer in die Welt geblickt, Und es neigen die Weisen Oft am Ende zu Schönem sich. |
「なぜいつもあの若者に慇懃に振舞うのですか、 気高いソクラテスよ、もっと優れた者がおりましょう。 なぜ愛の眼差しをもち、 神を仰ぐかのように、目を向けるのですか」 深淵に思いを馳せる者は、生き生きとしたものを愛し、 現世を見極める者は、高き徳を感得する、 そして智に傾倒するものはしばしば ついには美に心傾けるのだ。 |
アルキビアデスはソクラテスの弟子で、のちに政治家、武人。さらに高貴の生まれの美男子であり、ソクラテスの同性愛の恋人の一人です。プラトンの『饗宴』では、ソクラテスの次の恋人アガトンが主催する饗宴に酒に酔って乱入する場面があります。また同じくプラトンの『アルキビアデスT』『アルキビアデスU』は、ソクラテスとアルキビアデスの対話形式になっており、ソクラテスがアルキビアデスへの愛について語っています。
そうしたことから考えると、この詩の前半の問いかけは、アルキビアデスによるものとは考えにくいです。すると、ソクラテスのアルキビアデスへの態度をとがめる第三者の問いでしょうか。しかしそれも、当時少年愛は常識であったことを考えると言わずもがなの質問に思えます。
はっきりしたことはわかりませんが、個人的には、古代ギリシャの少年愛の習慣にかけて、ヘルダーリン自身の美の哲学を語った創作ではないかと思います。(なお先日訳したシェックの「宴の終わり」のマイヤー詩が、フォイアーバッハの絵に触発されたらしいとしましたが、あの絵こそアルキビアデスの饗宴への乱入の場面ではないでしょうか。)
なお、河出書房新社のヘルダーリン全集第1巻に掲載されたこの詩の訳注によると、第2連2行目の”Tugend”(徳)は本来は”Jugend”(若さ)で、この詩が初めて発表されたシラー編の『1799年の為の年刊詩』で”Tugend”と誤植されたとあります。しかしブリテンは”Tugend”になっているテキストを用いているようです。
ブリテンの作曲は極めて簡素で静かな朗唱風のもの。前半は途切れ途切れの単音で伴奏され、後半は和音になる構成。詩の真意はともかく、ブリテンと言えばピアーズとの生涯の同性愛関係が知られています。まさにその彼等によるこの曲の見事な演奏は、優れた音楽家同士の愛の記録としても特異な価値を持つと言えるかもしれません。ピアニッシモの歌とピアノのアンサンブルの交感は圧巻です。
参考文献:『饗宴』プラトン/久保勉訳(岩波文庫)、『プラトン全集』第6巻(岩波書店)
( 2007.01.15 甲斐貴也 )