K Molli Proshchanije S. Peterburgom |
モリーに ペテルスブルグよさようなら |
Ne trebuj pesen ot pevtsa, Kogda zhitejskie volnen’ja Zamknuli veshchie usta Dlja radosti i vdokhnoven’ja. I esli chuvstv mogil’nyj son Narushish’ vlastiju velikoj, Ne pen’e,net! Razdastsja ston Il’ zhenskij plach,il’ khokhot dikij. No esli,gordost’ zataja, Pevtsa zhivym uchast’em vstretish’ I khot’ pritvorno,khot’ shutja, Nadezhdoj zhizn’ emu osvetish’, Jarche molnij, Zharche plameni, Burnym potokom pol’jutsja slova; Pesni zvonkie, Pesni gromkie, Groma sil’nej oglasjat nebesa. |
歌を求めてはならない 詩人から もし世の中の騒々しさが 詩人の予言をする口を閉ざさせた時には 喜びや霊感の湧き出すその口を もし彼の感性が死んだように眠るのを 力ずくで邪魔しようとしても 歌は生まれはしない、決して! 代わりにうめき声や 女のような泣き声、あるいは粗野な笑いが生み出されるだけだ だが もしも高飛車な態度でなく 生き生きと共感を持って詩人を受け入れ ただそうするふりであれ たわむれであったとしても 彼の人生を希望で照らしてくれたならば 稲妻よりも激しく 炎よりも熱く 言葉は激しい急流のように湧き出すだろう 高らかな歌が 堂々たる歌が 雷鳴よりも強く この空に響くのだ |
これもグリンカの歌曲集「ペテルスブルグよさようなら」より。詩人のクコリニクは彼の友人です。
ここでのタイトルにあるモリーというのがどういう女性かは分からないのですが、詩は彼女に宛てた詩人からの熱烈なラブレターですね。「あなたが愛してくれるなら、それがたとえ見せかけの愛だったとしても、詩人の言葉は高らかに甦るだろう」という。この熱烈さに触発されたのか、グリンカの音楽もとても熱いカンターヴィレです。
といいますのは裕福な地主の息子に生まれた彼は西欧にも何度も行っているのですが、イタリアではベルリーニやドニゼッティとも知り合いになっていましたし、いくつかイタリア語の詩に付けた歌曲も作っています。そんなイタリア仕込みの味わいがこの歌曲には濃厚に出ていて、まるでベルリーニの歌曲をロシア語で歌っているような雰囲気なのです。ワンフレーズが大変長いですし、メロディにつけた装飾音などはもろにイタリア風。この歌曲集の中にはスペイン風あり、ユダヤ風あり、故国ロシア風ありとたいへんに多彩なスタイルの曲がありますが、その中でもちゃんと自己主張をしています。といいながらその非ロシア色が災いしてかあまり取り上げられることは多くないのが残念。
「ペテルスブルグよさようなら」の全曲を収めたグリンカの歌曲集、最近バスのレイフェルクスがConiferレーベルに入れたものを見つけて聴くことができました。男声で歌う「子守歌」の美しさにも痺れてしまいましたが、この曲も素晴らしいです。多くのロシアのバスが迫力でねじふせるような感じな中(オペラではその方がいいのでしょうけれど)、このレイフェルクスは控え目な気品のようなものを漂わせていてこのグリンカのスタイルにぴったりなのです。
( 2007.01.13 藤井宏行 )