Der römische Brunnen Op.60-14 Das stille Leuchten |
ローマの泉 歌曲集『静かなる輝き』 |
Aufsteigt der Strahl und fallend gießt Er voll der Marmorschale Rund, Die,sich verschleiernd,überfließt In einer zweiten Schale Grund; Die zweite gibt,sie wird zu reich, Der dritten wallend ihre Flut, Und jede nimmt und gibt zugleich Und strömt und ruht. |
煌めき噴きあげ 降りそそぎ 大理石盤 縁まで満たし 紗に覆わるるかに 満ち溢れ 次なる盤の底に落つ そもまた満ち満ち 更なる盤波立て溢る いずれも受け また与え 流れて 憩う |
19世紀スイスの小説家・詩人コンラート・フェルディナント・マイヤーの詩による、シェックの「連続歌曲集」(Liederfolge)『静かなる光』の第1部『秘密と比喩』第14曲となる作品。
この詩は岩波文庫の『ドイツ名詩選』にも選ばれており、現在日本であまり顧みられることの無いマイヤーの代表作と言っていいものです。山口四郎氏の名著『ドイツ詩必携』(鳥影社)に詳しい記述がありますが、ローマのボルゲーゼ公園にある三つの水盤を備えた泉の情景を描写した18行の第1稿を大幅に改作し、決定稿は描写的形容詞を廃して、ほとんど水の動きと状態の表現のみに絞った、抽象に近づいた抒情詩となっています。
この「泉」は「噴水」と訳されることも多いですが、ローマの泉はほとんどが、日本の公園にあるような高圧で華麗に噴出するものではないそうです。ボルゲーゼ公園の泉はウィキペディアで見ることが出来ますが、やはりあまり高々と吹き上げるものではないようです。http://it.wikipedia.org/wiki/Immagine:Vb2.PNG
上記以外に指摘したい特徴は、水の詩でありながら「水」”Wasser”という語を一度も使っていないことです(第1稿にはある)。フィッシャー=ディースカウ盤の対訳に顕著なことですが、この詩の日本語訳には「水」という語を補っているものが多いので、わたしの訳では「水」そのものはもちろん、「水」という文字も一切使わない工夫をしました。
普段の口語訳ではなく文語調にしたのは、極度に簡素な詩のため、原詩の韻やリズム、響きの失われる日本語訳では、まるで俳句の外国語訳のように味気ないものになってしまうからです。要するに「逃げ」ではあるのですが、これですと助詞を節約して簡素化を徹底できる利点もあります。
さてシェックの曲ですが、例によっておよそ歌曲になりそうにない詩を、言葉の持つリズムを生かしきることで音楽に仕立てた見事なものです。中嶋忠宏氏は論文『シェックのマイヤー歌曲を読む』で、この曲の「変イ→ハ→ホ→変イ」の転調を、三つの水盤の多層構造に照応したものと指摘しています。短い詩なので演奏時間約1分強の小曲ですが、詩と同じく一音たりとも無駄の無い、聴き応えのある作品です。
演奏は、フィッシャー=ディースカウ(スイス・クラーヴェス)とメゾのヘドヴィク・ファスベンダー(スイス・イェックリン)があります。前者の信頼度の高さは言うまでもありませんが、イェックリンの歌曲全集中の後者も中々の出来栄えです。
参考文献
『ローマの泉の物語』竹山博英(集英社新書)
『ドイツ詩必携』山口四郎(鳥影社)
『シェックのマイヤー歌曲を読む』中嶋忠宏(名古屋大学言語文化部言語文化論集)
フィッシャー=ディースカウ盤CD日本語解説書(日・キングレコード)
( 2006.11.22 甲斐貴也 )