Harmonie du soir L 64 Cinq Poèmes de Baudelaire |
夕暮れのハーモニー ボードレールの5つの詩 |
Voici venir les temps où vibrant sur sa tige, Chaque fleur s'évapore ainsi qu'un encensoir; Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir, Valse mélancolique et langoureux vertige. Chaque fleur s'évapore ainsi qu'un encensoir, Le violon frémit comme un coeur qu'on afflige, Valse mélancolique et langoureux vertige, Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir; Le violon frémit comme un coeur qu'on afflige, Un coeur tendre,qui hait le néant vaste et noir! Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir; Le soleil s'est noyé dans son sang qui se fige... Un coeur tendre,qui hait le néant vaste et noir, Du passé lumineux recueille tout vestige. Le soleil s'est noyé dans son sang qui se fige,- Ton souvenir en moi luit comme un ostensoir. |
さあやってきたこの時、茎を震わせながら 花たちはみな、香炉のように香りを放つ 音楽と香りは輪になってこの夕空に立ち上る 憂鬱なワルツ、物憂いめまい! 花たちはみな、香炉のように香りを放つ ヴァイオリンは震える、悩みに沈む心のように 憂鬱なワルツ、物憂いめまい! 空は悲しくも美しい、まるで壮大な祭壇のように ヴァイオリンは震える、悩みに沈む心のように 優しい心、そいつは巨大で暗い空虚さを嫌う! 空は悲しくも美しい、まるで壮大な祭壇のように 太陽は自分から滲み出した血の中へと溺れていく 優しい心、そいつは巨大で暗い空虚さを嫌い 調和のとれた昔の、名残のすべてを集めようとする 太陽は自分から滲み出した血の中へと溺れていく 君の思い出は私の中で、まるで聖体盒のように輝く |
古くから「夕べの諧調」という難解な題名で紹介されていますが、原題はHarmonie du soirですから今の日本人なら「夕暮れのハーモニー」という題で十分意味は感じ取れると思います。夕暮れの中、ヴァイオリンの悲しいワルツを聴きながら深い虚無感に浸るという詩、「憂鬱なワルツ」とある背後に流れている音楽はチャイコフスキーの弦楽セレナーデのワルツのような流麗な音楽を私はイメージしました。決して悲しくないメロディですが夕暮れの切なさを思い起こさせるようなものがここではピッタリきます。
花の香りにひたりながら、美しい音楽を庭で聴いている。当時はラジカセなんてありませんでしたから野外のライブ音楽会でしょう。頭の中での空想的なイメージを描いているという解釈もあるようですが、私は現実に音楽を聴きながら沈み行く夕日を眺めて想いに耽っている、と解釈しました。
もっとも喩えで出てくる題材は、香炉・祭壇・聖体盒とかなり宗教的なものに偏っています。何か深い意味が実のところはありそうです(夕焼けを死のイメージで捉えている?この場合聞こえている音楽は典礼音楽になりますが...)。ここで最後に出てくる聖体盒というのは、正確に訳すと聖体顕示台(オステンソリウム)というもので、キンキラキンに飾り付けられた優勝トロフィーみたいなものと思っておけば良いでしょうか。その中に聖体を入れて礼拝するものなのだそうです。
また、詩のスタイルも興味深く、前の節のうちの2行が次の節で位置を変えて繰り返し現れてきます。これはパントゥーム(Pantoum)という詩のスタイルで、アジア起源ですが19世紀にこのボードレールなどがフランス詩の中でも試みたもののようです。厳密にはこの4連を続けると4連目には最初の連で繰り返されなかった2つの行が現れて詩が円環状に閉じるスタイルとなるのですが、ここでボードレールはその部分だけを崩しています。まあおかげで見事なオチがついたところもありますけれども...
もし規則どおりに作詩したとしたら、最後の節は冒頭部分が戻ってきてこのようになるようです。意味は全然通らないですが。
優しい心、そいつは巨大で暗い空虚さを嫌い
音楽と香りは輪になってこの夕空に立ち上る
太陽は自分から滲み出した血の中へと溺れていく
さあやってきたこの時、茎を震わせながら
この詩をドビュッシーは気に入ったのか、彼のピアノ作品の代表作のひとつである前奏曲の中の1曲にも、Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir(音楽と香りは輪になってこの夕空に立ち上る)と題名を付けています。これにこだわらずともこの歌のピアノ伴奏は大変に雄弁。ドビュッシーのピアノ曲を愛好する方はきっと気に入られるはずだと思います。歌曲のピアノパートの豊穣な響きにもぜひ耳を傾けて頂けると良いのですが。ほのかに聴こえる華麗なワルツの残照など溜息が出そうなほど美しいです。
この詩は明治の名訳詩集「海潮音」でも取り上げられています。上田敏の名訳を書き写して終わることにしましょう。眩暈(くるめき)や血潮雲(ちしほぐも)なんていう言葉の使い方は見事ですね。
薄暮(くれがた)の曲 シャルル・ボドレエル
時こそ今は水枝(みづえ)さす、こぬれに花の顫(ふる)ふころ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
痍(きず)に悩める胸もどき、ヴィオロン楽の清掻(すががき)や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ、
神輿の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ。
痍(きず)に悩める胸もどき、ヴィオロン楽の清掻(すががき)や、
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心(やさごころ)。
神輿の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ、
日や落入りて溺るゝは、凝(こご)るゆふべの血潮雲(ちしほぐも)。
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心(やさごころ)、
光の過去のあとかたを尋(と)めて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、凝(こご)るゆふべの血潮雲(ちしほぐも)、
君が名残のたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒(せいたいごう)。
( 2006.10.29 藤井宏行 )