Chant d'automne Op.5 Trois mélodies |
秋の歌 3つのメロディ |
Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres, Adieu,vive clarté de nos étés trop courts! J'entends déjà tomber,avec un choc funèbre, Le bois retentissant sur le pavé des cours. Tout l'hiver va rentrer dans mon être: colère, Haine,frissons,horreur,labeur dur et forcé, Et,comme le soleil dans son enfer polaire, Mon coeur ne sera plus qu'un bloc rouge et glacé. J'écoute en frémissant chaque bûche qui tombe; L'échafaud qu'on bâtit n'a pas d'écho plus sourd. Mon esprit est pareil à la tour qui succombe Sous les coups du bélier infatigable et lourd. Il me semble,bercé par ce choc monotone, Qu'on cloue en grande hâte un cercueil quelque part! Pour qui? c'était hier l'été; voici l'automne! Ce bruit mystérieux sonne comme un départ! J'aime,de vos longs yeux,la lumière verdâtre. Douce beauté! mais aujourd'hui tout m'est amer! Et rien ni votre amour ni le boudoir,ni l'âtre, Ne me vaut le soleil rayonnant sur la mer! Et pour tant aimez moi,tendre coeur! soyez mère, Même pour un ingrat,même pour un méchant; Amante ou soeur,soyez la douceur éphémère D'un glorieux automne ou d'un soleil couchant. Courte tâche! La tombe attend; elle est a vide! Ah! laissez moi,mon front posé sur vos genoux, Goûter,en regrettant l'été blanc et torride, De l'arrière saison le rayon jaune et doux! |
すぐにぼくらは冷たい闇の中へと沈んでいくのだ さらば、ぼくらの短い夏の激しい輝きよ! ぼくには聴こえる、陰鬱な音をさせて 中庭の敷石の上に焚き木が落とされるのが 冬のすべてが、ぼくの心に戻ってくる:怒りや 憎しみ、震え、恐れ、強いられたつらい労苦、 そして、北の果ての地獄の太陽のように、 ぼくの心も赤く凍った塊でしかなくなるのだ ぼくは震えながら聞く、薪が落ちる音を 断頭台を建てる時でさえこんなに虚ろな響きはしないだろう ぼくの心はまるで崩れ落ちる塔のようだ 容赦ない重い鉄槌に打ち砕かれたときの ぼくには思える、この単調な響きに揺られていると 誰かが棺が急いで組み立てているようだと だれのための棺だろう?つい昨日までは夏、だが今は秋だ! この不思議な響きは別れの音だ ぼくは愛する、切れ長な君の目の緑色の光を やさしく美しい人よ、だが今日はすべてのものが苦い 君への愛も、君の寝室も、きみの暖炉も 今の私には大切ではない、海に輝く太陽ほどには それでもぼくを愛してくれ、やさしい心よ!母親のように 恩を忘れた者を、心のねじけた者を 恋人か妹のように、つかの間の甘い喜びであってくれ 美しい秋の、あるいは沈む夕日のような喜びで つかの間の仕事だ! あとは墓が待ってる、貪欲な墓が! ああ! 君の膝の上に額を乗せて、 白く燃え立つ夏を懐かしみながら味わいたいのだ 黄色く穏やかな今の季節の日の光を! |
ボードレールの傑作として知られる詩です。ヨーロッパの短い秋においては、夏から冬への移り変わりはあっという間ですから、夏がちょっと翳ったかな、と思うと、すぐにこんな風に焚き木のために木の枝を切り落とす音があちこちで聞こえてくるのでしょう。
この焚き木が落ちる音にまた訪れる厳しい冬を、そして死をイメージしています。
けれどもその冬に至るまでのほんの僅かな時間を恋人と共に、というよりも恋人に溺れきって過ごそうということでしょうか。でも冬(=死)の厳しさと、つかの間の秋の日の穏やかさとの対比が非常に印象深く、さすが傑作とされるだけのことはあるなあ、と私は思いました。
ところが興味深いことに、この詩にフォーレが曲を付けたときには、大胆にも最後の恋人の部分の2節はカットされ、「海に輝く太陽ほどには」で歌が終わります。また前半の「冬のすべてがやってくる」の節もカットされており、残りの4節だけで歌が作られています。後半のカットはこの歌から救いをなくし、また前半のカットは焚き木の落ちる音と死とのイメージをより際立たせる効果を生んだように思います。もちろんここまで変えてしまうと詩の印象はボードレールとは全く別物になってしまった感はありますが。
上には原詩・訳詩ともにカットされていないボードレールのオリジナルを載せましたので曲を聴かれるときはご注意ください。
メロディも重々しく、初期の作品ではありながら晩年の静謐な歌曲群に通じるものも感じさせます。冒頭のピアノ伴奏は古代の旋法を思わせながら、他方木の枝が地面にどさっと落ちる音を描写しているようです。
また最後の節も救いがないとは言いながらも、恋人の優しさの中に救いを見る穏やかな旋律に一転しており、ひたすら美しく、やさしく曲を終えますから歌として聴く分には決してオリジナルとイメージが大きく変わるわけでもありません。
この歌もまたスゼーのバリトンの独壇場でしょうか。美しい声と見事な解釈で陶然とさせられてしまいます。
( 2006.10.01 藤井宏行 )