Réponse des cosaques zaporogues au sultan de Constantinople Op.135-8 Symphony no. 14 |
コサック・ザポロージェのコンスタンチノープルのスルタンへの返答 交響曲第14番「死者の歌」 |
Plus criminel que Barabbas Cornu comme les mauvais anges Quel Belzébuth es-tu là-bas Nourri d'immondice et de fange Nous n'irons pas à tes sabbats Poisson pourri de Salonique Long collier des sommeils affreux D'yeux arrachés à coup de pique Ta mère fit un pet foireux Et tu naquis de sa colique Bourreau de Podolie Amant Des plaies des ulcères des croûtes Groin de cochon cul de jument Tes richesses garde-les toutes Pour payer tes médicaments |
バラバ以上の極悪人め 悪の天使みたいな角が生えてるぞ ベルゼバブの傍に仕えるやつだ 汚物と泥で育ったやつめ お前のサバトにゃ俺らは行かんぞ サロニカの腐ったサカナ野郎め 悪い夢みてえな長い首飾りは 槍でえぐった目玉でできてるぞ おまえのカアチャンはビチビチ糞の屁をだして おまえはその下痢便から生まれたんだ ポドリアの首切り役人の愛人で 傷口のカサブタの膿野郎 ブタのツラしてケツはロバだぜ てめえの金を取っとくんだな でねェと薬が買えねえぜ |
某匿名掲示板なんかで気に入らない相手に罵詈雑言の限りを尽くしておられる方々にお任せした方がもっと下品さがにじみ出た迫力あるものになったようにも思えますが、私のつたない訳でもこの第8楽章の凄さはご理解頂けると思います。「おまえの母ちゃんデベソ」的な母親の出てくる悪口は洋の東西問わずあるんだなあ...などとつまらないところにも感動してしまいますが、アポリネールもなんでまたこんな詩を書いたのか?というのが非常に興味を惹かれるところです。そしてまたショスタコーヴィチが何でまたこのような詩をこのシンフォニーに取り上げたのか?についても。
私も答にたどり着いたわけではないのですが、いくつかの考える手がかりのようなものは拾い集めてきましたのでご参考までにここに書き記して置きたいと思います。
この背景にあるのは17世紀半ば、当時のポーランド王国は南のオスマン・トルコとウクライナあたりの領有を争っていたのだそうですが、そこでポーランド側について(雇われて?)トルコと戦ったのがこのザボロージェ・コサック(ウクライナ・コサック)。
勇猛果敢な彼らはずいぶんと活躍したようですが、結局トルコと和睦してウクライナのこの地域を譲るという約束をしたポーランドに裏切られます。
そしてトルコのスルタンは彼らに降伏と臣従を促す手紙を送りますが、それに対して彼らが書いた返事がこれです。
圧倒的な軍事力を誇るトルコのスルタンにこんな内容の返事を書くのですから、彼らコサックたちはもちろん死を覚悟しているのでしょう。ですから自分の身を安全圏へ置いて匿名でグダグダと悪口を書き散らしているのとは気迫の重みが違います。このような汚い言葉の裏にたいへん重たいものを背負っているのだ、と思って読み込んで頂けると幸いです。その意味ではそういう覚悟のない罵詈雑言を玩んでいる方々との心意気の差は月とスッポンであることも書き添えて置かないと彼らコサックたちにも大変失礼になってしまいますね。
この返事を書く情景、ロシアの歴史画家イリヤ・レーピンが描いた有名な絵があります。恐らくアポリネールもこの絵を見てインスピレーションを得たのではないかと思いますが、この詩は、マリー・ローランサンとの破れた恋の思いを綴った有名な「ミラボー橋」と同じ「アルコール」という詩集の中、「愛されなかった男の歌」という大変長い詩の一部として登場します。この詩はしかしローランサンではなく、ドイツで知り合ったイギリスの女性アニー・ブレイデンへの実らなかった恋のことを歌った詩なのだそうです。
初めにロンドンの情景が歌われながら場面は二転三転し、信仰篤いザボロージェコサック、というフレーズが出てきたかと思うと、それに対する臣従を要求するトルコのスルタンの話が出て、そしてこの罵倒に満ちた一節が出て参ります。
アポリネールにとってみればここでアニーに愛されなかった恨みつらみをぶつけている、という風に読めなくもないのですが、それはちょっと穿ち過ぎでしょうね。
バラバといえば新約聖書に出てくる、イエスとどちらを赦すか?と総督ピラトが言ったときに民衆が選んだ犯罪者。バッハの「マタイ受難曲」などを聴き込まれておられる方にはおなじみの名でしょう。ベルゼバブは悪魔の首領の名でサバトはその宴会。
サロニカ、は恐らくギリシャのサロニカ諸島のことでしょう(ギリシャの都市テッサロニキではないと思います)。ポドリアはちょうどこのコサックたちが暮らしていた東ウクライナのあたりになるようです。
ショスタコーヴィチの付けた音楽は彼らしい包丁で切り刻むような独特のリズムに乗せたもの。ロシアのバスによる演奏(バルシャイのモスクワ初演盤やロストロポーヴィチ盤などで名唱を聴かせてくれるレシェチンなど)がインパクトがもの凄くて面白いのも確かですが、やはり死を覚悟した戦士たちのポーカーフェイスだと思うとあまり表現力豊かなのもどうかと思わなくもありません。その観点で意外と良かったのがオーマンディ盤で歌っているサイモン・エステス。けっこうゆっくり目のテンポでしみじみと歌っているのでなかなか味わい深く聴かせてくれました。
( 2006.08.09 藤井宏行 )