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O Delvig,Delvig!   Op.135-9  
  Symphony no. 14
おお、デルヴィーグよ  
     交響曲第14番「死者の歌」

詩: キュヘルベケル (Wilhelm Karlowitsch Küchelbecker,1797-1846) ロシア
      

曲: ショスタコーヴィチ (Dimitry Shostakovich,1906-1975) ロシア   歌詞言語: ロシア語


O Delvig,Delvig! Chto nagrada
I del vysokikh i stikhov?
Talantu chto i gde otrada
Sredi zlodejev i glupcov?

V ruke surovoj Juvenala
Zlodejam groznyj bych svistit
I krasku gonit s ikh lanit.
I vlast' tiranov zadrozhala.

O Delvig,Delvig,chto gonenja?
Bessmertije ravno udel
I smelykh vdokhnovennykh del
I sladostnogo pesnopenja!

tak ne umrjot i nash sojuz,
Svobodnyj, radostnyj i gordyj!
I v schast'je i v neschast'je tvjordyj
Sojuz ljubimcev vechnykh muz!

おお、デルヴィーグよ、デルヴィーグ!、何で報われるのだ
高貴な偉業と詩作に対しては?
天才の喜びとはなんだ どこにあるのだ
この悪党や愚か者たちばかりの世の中にあって?

ユウェナーリスの厳しい手の
恐ろしい鞭が 悪党どもに飛び
やつらの顔から血の気を奪う
専制の権力は揺らぎ出した

おお、デルヴィーグよ、デルヴィーグ、迫害がなんだ
不滅の命を持つものだ
雄々しく気高い偉業も
優しい歌の響きも

我らの同盟も滅びはしない
自由、喜びそして誇り!
楽しいときも 苦しいときも揺らがない
永遠のミューズを讃える同盟は!


ロシア歌曲を探訪する上ではやはりプーシキンのことをきっちり調べておきたいと思い、今年の冬にロシア歌曲特集をするにあたっては彼の伝記やいくつかの解説書を紐解きました。その中で非常に重要であることが分かったのが、当時のロシアの遅れた社会制度や不合理に対する改革を叫んだ自由主義者の青年貴族・将校であるデカブリストたちとの関係。そしてこの詩を書いたヴィリゲリム・キュヘルベケルはそんなデカブリストのひとりでした。
彼は寄宿学校時代のプーシキンの同窓生として名前が出てきます。そしてこの詩で呼びかけられているデルヴィーグも同じく同窓。デルヴィーグも詩人で、アリャビエフ作曲の有名な歌曲「ナイチンゲール(夜鶯)」の詩などを書いています。そしてこのアリャビエフもデカブリスト...
当時のロシアで文化人といえばまず貴族でしたので(民衆は貧しすぎて文芸どころではなかった?)、この時代のロシアの詩や音楽を調べると、こんな風に芋蔓式に多くのデカブリストたちに出くわします。

1825年、アレクサンドル1世の崩御後に起きたデカブリストの乱はあっさりと鎮圧され、このキュヘルベケルやアリャビエフはシベリア送りとなり、その地で死にます。
そんな志半ばで斃れた人の、これはまた何と自信に満ちた詩でしょうか。もちろんこの詩が作られたのはまだデカブリストの乱のずっと前、プーシキンが南ロシアへ追放された時にそれへの抗議として書かれたものだといいます。「高貴な偉業と詩作」と言及しているのは、ですからもちろんプーシキンのことでしょう。

2節目に出てくるユウェナーリスというのは1世紀頃のローマの風刺詩人。現在でも「パンとサーカス」(食い物と娯楽だけ十分に与えときゃ大衆なんてちょろいもんよ)であるとか「健全な精神よ、健全な肉体に宿れかし」(日本では誤解されていますが、正しくは「体の元気なヤツほど不健全な考えを持つのは何とかならんのかねぇ」という慨嘆のことばです)などで現在でも知られています。厳しい手の恐ろしい鞭とは、ですから権力者をグサりと刺す風刺詩のこと。プーシキンもそんな詩作がもとで追放されたわけですのでそれを念頭においているのだと思います。なおプーシキン自身にもこのユウェナーリスに言及している詩があります。

しかし、このような詩がショスタコーヴィチのあの陰鬱な交響曲第14番に取り上げられているというのはちょっと不思議な感じがします。
しかも非常にロマンティックなカンターヴィレとして、美しい弦楽合奏と共にバスの独唱で歌われます。このひたすら暗く重々しい音楽の中にたった一瞬だけある救いの調べで、この前の楽章、激しい罵声が飛ぶ第8楽章「コサック・ザポロージェのコンスタンチノープルのスルタンへの返答」が極めて激烈なだけに一層その穏やかさが引き立ちます。またこの詩だけがこの交響曲に取り上げられた11編の中で唯一のロシア人の手になるものであることも要注目でしょう。
キュヘルベケルの詩を歌曲にする、などという例はこの人の死から既に150年以上も経っているのですけれどもショスタコーヴィチ以外にはないようで、そもそもどうして彼の詩を見つけ出したのかというところからして非常に興味深いところです。この人の詩について検索しても、引っかかってくるのはほとんどこのショスタコーヴィチの交響曲のことばかりで他の詩はおろか、他の著作すら十分に見つけ出すことはできませんでした(見つかってもロシア語だからほとんど読めないでしょうけれど)。

ロシア語の発音に問題があるのかも知れませんけれども、この曲のとことんロマンティックな味はロシアの重たいバス歌手よりも、ハイティンク盤でのフィッシャー=ディースカウのような歌唱の方がひときわ味があるように思いました。

( 2006.07.22 藤井宏行 )


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