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NEDORAZUMENIE   Op.109-4  
  Rjat Satiry
勘違い  
     チョールヌイの詩による5つの風刺

詩: チョールヌイ (Sasha Chyorny,1880-1932) ロシア
      Недоразумение

曲: ショスタコーヴィチ (Dimitry Shostakovich,1906-1975) ロシア   歌詞言語: ロシア語


NEDORAZUMENIE

Ona byla poetessa,
Poetessa bal’zakovskikh let.
A on byl prosto povesa,
Kurchavyj i pylkij brjunet.

Povesa prishel k poetesse.
V polumrake dyshali dukhi,
Na sofe,kak v torzhestvennoj messe,
Poetessa gnusila stikhi:

“O,sumej ognedyshashchej laskoj
 Vskolykhnut’ moju sonnuju strast’.
 K pene beder,za aloj podvjazkoj
 Ty ne bojsja ustami pripast’!

 Ja svezha,kak dykhan’e levkoja,
 O,spletem zhe istomnosti tel!..”
Prodolzhenie bylo takoe,
Chto kurchavyj brjunet pokrasnel.

Pokrasnel,no opravilsja bystro
I podumal: byla ne byla!
Zdes’ ne dumskie rechi ministra,
Ne slova zdes’ nuzhny,a dela...

S nesderzhannoj siloj kentavra
Poetessu povesa privlek,
No vizglivo-vul’garnoe: “Mavra!!”
Okhladilo kipuchij potok.

“Prostite...- vskochil on,- vy sami...”
  No v glazakh ee kholod i chest’:
“Vy smeli k porjadochnoj dame,
Kak dvornik,s ob”jat’jami lezt’?!”

Vot chinnaja Mavra. I zadom
Ukhodit ispugannyj gost’.
V perednej rasterjannym vzgljadom
On dolgo iskal svoju trost’...

S litsom belee magnezii
Shel s lestnitsy pylkij brjunet:
Ne ponjal on novoj poezii
Poetessy bal’zakovskikh let.

勘違い

ひとりの女性詩人がおりました
ちょうどバルザックのいた時代
それと気楽な放蕩者
カールした黒髪の若い男

男は詩人のところにやってきた
黄昏の中、香水が香り
ソファの上では厳粛なミサのように
詩人が詩の一節をつぶやいていた

「おお、火を吹くような抱擁で
 あたしの眠れる情熱を覚ましてちょうだい
 ふとももの先まで、真紅のガーターを外して
 押し倒してくちびるを奪うのよ

 あたしはみずみずしいわ、まるでナデシコの花の吐息のように
 さあ、でも私たちの体をボロボロになるまでむさぼり合いましょ」
てな具合の詩
巻き毛の黒髪男は一瞬真っ赤になった

真っ赤になったが、すぐに元に戻った
そして考えた、すべきか、せざるべきか!
ここですべきは大臣の議会での演説じゃないぞ
言葉はいらない、この場合、行動あるのみ

ケンタウロスのような荒々しい力で
やつは詩人を押し倒した
だが返ってきたのは激しい叫び「けだもの!」
場はいっぺんに冷めた

「失礼」やつは飛びのいて言う「でもあなた、今...」
冷たい、自信に満ちた視線で詩人は答える
「あなた、この淑女に何をするの!
 まるで下衆みたいに抱きついてきて」

今や冷静になったケダモノは飛び下がる
おびえた客はこの家を逃げ出すのだ
玄関では動転して
ひとしきりステッキを探し回って...

顔を苦土のように真っ青にして
好き物の黒髪男は階段を下りていく
やつには新しい詩が分からなかったのだ
このバルザック時代の女流詩人の詩が


非常にベタな展開の話なので詳しい解説は必要ないと思います。が、私がこの詩を読んでいて非常に興味を惹かれたのは、直接の関係はないですがあのスターリンの社会主義リアリズムの時代、下卑なポルノグラフィーやエロ小説みたいなものはどうやって生き延びていたのかなあ、ということです。まあ政治的にどうこういうものではないですからそんなにウルサクなかったのかも知れません。ただこういうのは野放しにすると物凄く退廃するところですから、どういう形の締め付けがあって、どこまではお目こぼしがあったのかといった辺りをご存知の方は教えていただけると有り難いです(これらを根絶するのは絶対に不可能でしょう。でもスターリン下のソヴィエトならやろうとしかねなかったかも)。そんなくだらないことを思い起こさせるこの大胆な詩を書く女詩人のつぶやきはショスタコーヴィチらしからぬ甘美なメロディ(これもチャイコフスキーかラフマニノフのパロディでしょうか?)で笑ってしまいます。
さて、この詩で1箇所だけ、実は人種差別的な罵倒語である「Mavra」を私はケダモノと訳しましたがそれが本当に良かったのかどうか...このMavraを女性詩人が怒り狂って連呼する部分は音楽的にもかなり強烈です(ヴォルフの曲みたい)。そのまま直訳して日本語で歌ったらTVやラジオではまず放送して貰えないでしょうけれども、ロシア語だとあんまり気にする方はいないのでしょうかね。危ない言葉を絶叫して放送禁止になるような曲はパンクロックなんかには良くありますが、クラシックの歌曲に関しては今まで詩をここでたくさん見てきましたけれども私にとってはこれが初めてです。
それと「あたしの吐息はlevkoya」とある花levkoyaは園芸をされる方にはストック、あるいはニオイアラセイとして知られている花のようです。私は園芸に詳しくないので、もう少しピンとくる近い種類の花ということでナデシコということにしました(ヤマトナデシコとかいって女性の比喩に日本では使ったりもしますので)。

この曲、芸達者な歌手が歌うとけっこう凄いものになりそうです。ユーモラスなバラード(歌物語)としても一級品。

( 2006.05.12 藤井宏行 )


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