Love's minstrels The House of Life |
愛の神の楽師たち 歌曲集『生命の家』 |
One flame-winged brought a white-winged harp-player Even where my lady and I lay all alone; Saying: “Behold,this minstrel is unknown; Bid him depart,for I am minstrel here: Only my strains are to Love's dear ones dear.” Then said I: “Through thine hautboy's rapturous tone Unto my lady still this harp makes moan, And still she deems the cadence deep and clear.” Then said my lady: “Thou are Passion of Love, And this Love's Worship: both he plights to me. Thy mastering music walks the sunlit sea: But where wan water trembles in the grove And the wan moon is all the light thereof, This harp still makes my name its voluntary.” |
恋人と私が二人きりで身を横たえていると 炎の翼を持つ者が白い翼の竪琴弾きを連れて来た 「ご覧下さい、この楽師は見知らぬ者です 去れとご命じください、私こそこの地の楽師 私の奏でる調べこそ愛の神と人との親しきものなのですから」 そこで私は言った「お前のオーボエの心奪う響きに乗って 竪琴の紡ぐ嘆きの調べは我が恋人に届いた 彼女はそれを真情からの汚れなきものと聴いたのだ」 すると我が恋人は言った「お前は愛の情熱 その者は愛の崇拝。この方は二つを共に誓ってくださいます お前の巧みな楽の音はいつも陽光あたる海を歩みますが 樹々の中で蒼い水がさざめくところ 蒼い月の光だけが射すところではいつも 竪琴の奏でる即興曲が私の名を讃えてくれるのです」 |
ロセッティの詩の原題は「情熱と崇拝」”Passion and Worship”。最終行の「ヴォランタリー」”voluntary”を「自発性」ではなく「即興曲」にしましたが、英国国教会の礼拝でオルガンが演奏するヴォランタリーという曲種があることがわかったからです。それから発展した器楽曲は他の楽器でも演奏され、我が国で有名なものには伝パーセルの「トランペット・ヴォランタリー」があります。
他にも”You are”の古表現”Thou art”など擬古典的な手法が見られ、蒲原有明訳のような文語調がふさわしいのかもしれませんが、それに徹するほどの教養も無いので、中途半端に古い言葉を使うのはやめておきました。
あまり歌にはなりそうにない詩ですが、ヴォーン=ウィリアムスの曲は素晴らしいです。朗唱風に詩を物語り、ピアノ伴奏がアルカイックなオーボエの調べと、華麗なグランドハープのアルジオを模して、ロセッティの絵画そのものの情景を描いていきます。わたしはこの歌曲集で初めて、ヴォーン=ウィリアムスという作曲家を本当に好きになってきました。ロットやボストリッジが「沈黙の正午」のみ録音しているのが不思議なほど魅力的な歌曲集です。
演奏はテノールでA.ロルフ・ジョンソン&D.ウィルソン(英EMI)、バリトンではナクソス盤のR.ウィリアムス&I.バーンサイドの全曲盤がなかなかの好演と思います。
余談ですが、前回ご紹介した「生命の家」の原書に掲載されているこの詩には、意外にも単純な誤植と思われる箇所があります(5行目の”Love's dear ones dear”が”Love's dear ones,dear”、6行目”hautboy's”が”hautboy;s”になっている)。ネット上でも同様のものがありますが、これが元なのかもしれません。
( 2006.03.21 甲斐貴也 )