Vesna,vesna Op.128 |
春よ春よ |
Vesna,vesna,pora ljubvi, Kak tjazhko mne tvoe javlen’e, Kakoe tomnoe volnen’e V moej dushe,v moej krovi... Kak chuzhdo serdtsu naslazhden’e... Vse,chto likuet i blestit, Navodit skuku i tomlen’e. Otdajte mne metel’ i vjugu I zimnij dolgij mrak nochej. |
春よ春よ、愛の時よ お前がやってきて私はとてもやりきれない なんともつらいこの気持ちが 私の魂にも、血潮にもあふれる... 心には何の喜びもなく 喜びに満ち輝いているすべてのものが 私に退屈と苦痛をもたらすのだ 私に返してくれ、雪嵐と吹雪を そして冬の長い夜の暗闇を |
ショスタコーヴィチはプーシキンの詩による歌曲集を2つ(Op.46と91)書いていますが、実はもうひとつ、彼の心臓病の発作のあと(1967)にも書こうとしていたのだそうです。残念ながら歌曲集にはまとまらず、ただこの1曲だけがOp.128として残されることになりました。しかしこの曲も詩の選択にショスタコーヴィチ流が見事に現れています。1827の春に許されてペテルスブルクに戻ったばかりのプーシキンが書いたこの詩は、春の喜びでなくまわりの明るさになじめない詩人の苦しみを歌っています。一説によるとこの詩が彼の若い頃からの友人たちがデカブリストの乱に連座して処刑あるいはシベリア送りとなり、もうペテルスブルクにはいない悲しみを歌ったものだと言われています。また明るい春が巡ってきても失った大切なものはもう戻らない。まわりが復活の喜びに満ち溢れているだけになおさら辛い。それならまだ厳しさと暗闇に耐えていた冬の方がまだましだったというこの気持ちは、スターリン時代の厳しい弾圧の中、親しい友人や芸術上の仲間を次々に失ったショスタコーヴィチの心にも響くものがあったのでしょう。非常に共感に満ちた音楽を付けています。
冒頭のピアノ伴奏にだけほのかに春の明るさが描写されたあとは、暗く重苦しい悲しみがあるときは沈鬱に、またあるときは叫ぶように歌われ、最後の「雪嵐と吹雪を」のところでは伴奏にも荒々しい冬の嵐のエコーが聴こえます。彼の晩年の作品の常で決して聴きやすい音楽ではありませんが、なぜか心にに響きます。
この曲、Delosにある歌曲全集以外の録音はあるのでしょうか。ここでのクズネツォフの浸り込むような重たい歌も素晴らしいのですがもっと色々聴いてみたい深い音楽です。
( 2006.04.08 藤井宏行 )