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Ljuvov' kapitana Lebjadkina   Op.146-1  
  Chetyrekh stikhotvorenijakh kapitana Lebjadkina
レビャートキン大尉の恋  
     レビャートキン大尉の4つの詩

詩: ドストエフスキー (Fyodor Mikhailovich Dostoyevsky,1821-1881) ロシア
    Besy(悪霊) 第1部第3章 

曲: ショスタコーヴィチ (Dimitry Shostakovich,1906-1975) ロシア   歌詞言語: ロシア語


Ljubvi pylajushchej granata
Lopnula v grudi Ignata.
I vnov’zaplakal gor'koj mukoj
Po Sevastopolju beerukij.

  Khot' v Sevastopole ne byl i dazhe ne beerukij,
  no kakovy zhe rifmy!,no kakovy zhe rifmy!

I porkhaet zvezda na kone
V khorovode drugikh amazonok;
Ulybaetsja s loshadi mne
Ari-sto-kraticheskij rebenok.



Sovershenstvu devitsy Tushinoj.
Milostivaya Gosudarynya Yelizaveta Nikolaevna!

O kak mila ona.
Yelizaveta Tushina,
Kogda s rodstvennikom na damskom sedle letaet,
A lokon yee s vetrami igraet,
Ili kogda s materiyu v tzerkvi padaet nitz,
I zritsya rumyanetz blagogoveynikh litz!
Togda brachnikh i zakonnikh
I vsled yey,vmeste s materiyu,slezu posilayu.



V sluchae yesli b ona slomala nogu.

Krasa krasot slomala chlen
I interesnej vdvoe stala,
I vdvoe sdelalsja vljublen
Vljublennyj uzh nemalo.

     Sostavil neuchenyj za sporom
真っ赤に燃える恋の手榴弾が
炸裂したのだ、イグナートの胸に。
哀れな男はまた苦い涙に暮れる
セヴァーストポリ戦で腕を失ったことを思い出して。

  我輩はセヴァーストポリには行っておらぬし、腕もなくしてはいない
  が、なんと素晴らしい韻だ! なんと素晴らしい韻だ!

輝く星が馬の背の上
たくさんのアマゾネスに囲まれて光る
その馬の背より私に微笑みかけるのは
キ・ゾ・ク・の出身の乙女であるぞ



理想的な完全さのミス・トゥーシナへ
ミロスティヴァヤ ゴスダリーニャ エリザヴェータ ニコラーエヴナ様

おお、なんと麗しい女性
エリザヴェータ・トゥーシナ嬢
女性用の鞍に跨り、親類の紳士と共に駆けて行く時
その髪のカールは風に揺れる
あるいはまた、母君と教会の床にひざまずく時
その顔にはほんのりと赤みが差している!
そして我輩は、公式な婚姻の喜びに胸を躍らせ
母君と去り行くあの人を涙で送る



あの人が足を折ったなら

美女の中の美女が足を折ったなら
その魅力は二倍になるのだ
そして愛する想いも二倍になる
既に彼女に恋焦がれている男の想いも

   口論の最中に無学の男の作った歌


ショスタコーヴィチはまた、いくつかの管弦楽作品同様に歌曲の世界においてもその諧謔味をフルに生かした思わず笑っちゃう作品をいくつも書いています。
面白いものでは当時の風刺的な雑誌記事を音楽にした「クロコデールの雑誌による5つの歌」(年金生活者の年寄りがバス運転手の無礼に腹を立ててぶん殴ったときの供述書であるとか、権力者の横暴で半殺しの目に遭ったが泣き寝入りとか(グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が伴奏に現れるのが何ともいえない)奇妙なテキストばかり)、あるいはもっと凄いところでは1948年、あの悪名高きジダーノフ批判の真っ最中にムソルグスキーの書いた人形芝居の歌「ラヨーク」のスタイルを借りてスターリンはじめ権力者やその取り巻きたちを散々にコケにした怪作「反形式主義的ラヨーク」(登場人物たちのおバカっぷりが強烈)、あるいは自分の作品集の序文にメロディを付けて歌にしちゃっていたりとまさに縦横無尽なのですが、残念ながらこれらは歌詞に著作権があって詳細には取り上げることができません。そこでここで取り上げるのは彼としては非常に多彩な音楽のスタイルが楽しい歌曲集「風刺」か、あるいは彼が最晩年に書いた「レビャートキン大尉の詩による4つの歌」(この後に書かれたのはヴィオラソナタだけですから、本当に最晩年の作品です)ということになります。
「風刺」はそれなりに気合を入れて取り上げたいのでもう少々お時間を頂くこととして、今回はレビャートキンの方を取り上げたいと思います。この歌、実はドストエフスキーの小説「悪霊(悪鬼ども)」の中で、えらくコテコテに濃い存在感を示している怪人物イグナート・レビャートキンの書いたヘンテコな詩すべて(多分)に歌をつけているものです。詩だけでなくその前後のせりふなんかも歌にしているのでそれがまた妙におかしい。これがあのショスタコーヴィチが最晩年に書くような作品か?と音だけ聴く分には思えてしまうのですが、共産主義下のロシアで長らく禁書のようになっていたドストエフスキーの小説の一部をテキストにしている、という点で途轍もなく深い意味合いを持ちます。
「悪霊」という小説はご存知のように革命前のロシアで、日本の連合赤軍みたいな内部粛清事件を起こした革命家ネチャーエフのことにヒントを得て書かれたもの、イデオロギーを信奉する人間は時に悪霊に取り付かれたように冷酷無比になり、殺人さえ物ともしなくなる、むしろ人を共同して殺すことで組織の紐帯を強める、という働きすらする姿を赤裸々に描きます。ですから社会主義革命のためにあらゆることを犠牲にしてきたロシアのコミュニストたちにはどうにも許しがたい作品であったのでしょう。革命後のロシアでは長く禁書となっていた小説です。確かにこの小説に出てくる革命家たちは非常にニヒルに人を殺し、そして虚無の中に死んでいきます。このコテコテに濃いレビャートキンさえも混乱の中、精神を病んだ妹と共に虐殺されるというとんでもない展開。ですからショスタコーヴィチにとってはただの「物語」ではない何かをこの小説に感じたのでしょう。おふざけの仮面の下に重たいメッセージを伝えているようにも思えます。

前置きが長くなりました。この歌曲集の第一曲「レビャートキン大尉の恋」は3つの部分の寄せ集めからなる曲です。
最初の「恋の手榴弾」、彼が初登場した第一部第三章で歌われる歌です。詩の出来の良し悪しを味わえるほど私はロシア語に堪能ではありませんが、確かにこの詩、気持ちの良い脚韻は踏んでいます。レビャートキンが自画自賛するのもまあ分かります。ですが内容はとてつもなくヘン。マーラーやショスタコーヴィチでもいくつかの交響曲などによく聴かれる凶悪な3拍子のスケルツォでクリミア戦争の激戦地、セヴァーストポリのような戦場を描写します。そこに現れるジャンヌ・ダルクのような美女...
念のため申し添えておきますが、詩だけでなくつぶやきも含めてここに掲げている部分が全部歌われています

悲壮なメロディを高らかに鳴らす軍隊ラッパのようなファンファーレに引き続いて「A-ri-sto-kra-ti-cheskiy キ・ゾ・ク・の」(貴族)を繰り返すエンディングも怪しさ満点。ところが歌はこれで終わらず、引き続いて女性を讃える手紙に書かれた詩(同じ章ですが小説でもシチュエーションは別のところで使われています)に移ります。相変わらずグロテスクな音楽が続きますが、なぜか「あの人が足を折ったなら」の終わりのところで突如チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」風の音楽で盛り上がり、「口論の最中に無学の男の作った歌」と静かにつぶやいて終わります。

キッチュさとチグハグさでは4曲中でも飛びぬけている変な音楽です。こういうのを真面目に演奏するのが味があってよいのでしょうなあ。現在入手可能な録音といえば、Delosの全集のクズネツォフのバスにセーロフのピアノ伴奏のものくらいではないかと思いますが、この歌い方けっこう怪しさ満点で私は好きです。それとリートの大御所、フィッシャーディースカウがアシュケナージの伴奏で入れたDecca録音が他のショスタコーヴィチ歌曲と一緒に最近再発されましたが、ちょっと彼のドイツリートほどの切れ味はなくて残念でした。チャレンジした意気込みは大いに買いたいとは思うのですが...
あとはもっと怪しそうな管弦楽伴奏版でしょうか?(レイフェルクスのバスにトマス・ザンデルリンクの伴奏)未聴ですがかなり凄そうな気がします。

(2006.03.24 藤井)

突如チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」風の音楽で、と書きましたこのエンディング、やっぱりチャイコフスキーのオペラからの引用でした。「スペードの女王」の第2幕でエレツキーの歌うアリア「私はリーザを愛する」のメロディ、オリジナルを聴いてみましたところ非常に控え目で美しいアリアなのですが、ここではけっこうド派手に奏でられ、そして最後は激しくズッコケます。この手紙を捧げている女性もエリザヴェータですから名前のリーザ繋がりで選んだのでしょうけれども何とも皮肉な使い方。このオペラとドストエフスキーの「悪霊」の両方を良くご存知の方が聴いたら大爆笑ものなのでしょうなあ。私はオペラの方に無知でしたのでちょっと遅れて感動しています。

(2006.08.15追記)

( 2006.03.24 藤井宏行 )


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