Vo glubine sibirskikh rud Op.91-3 Chetyre monologa na slova A. Pushkina |
シベリアの鉱山の奥底でも プーシキンの詩による4つのモノローグ |
Vo glubine sibirskikh rud Khranite gordoje terpen'je, Ne propadjot vash skorbnyj trud I dum vysokoje stremlen'je... Neschast'ju vernaja sestra, Nadezhda v mrachnom podzemel'je Razbudit bodrost' i vesel'je, Pridjot zhelannaja pora: Ljubov' i druzhestvo do vas Dojdut skvoz' mrachnyje zatvory, Kak v vashi katorzhnyje nory Dokhodit moj svobodnyj glas. Okovy tjazhkije padut, Temnicy rukhnut i svoboda Vas primet radostno u vkhoda, I brat'ja mech vam otdadut. |
シベリアの鉱山の奥底でも 誇りを持って耐え忍べ 君たちの悲しく終わった努力と 高いこころざしは滅びはしない 不幸な者たちの忠実な姉妹である 「希望」は薄暗い洞穴の中にあっても 陽気さや朗らかさを呼び覚ますだろう いずれまた良い時が来るのだ 愛と友情は君らのもとへ 陰鬱な鉄格子を突き抜けて届く 君らの苦役の牢獄の中に 私の自由の声が届くように 重い鎖は外れ 牢獄が崩れていく中を自由は 喜びに満ちて戸口で君たちを迎える そして兄弟たちが再び剣を渡すのだ |
プーシキンの詩による4つのモノローグ、3曲目の「シベリアの鉱山の奥底でも」は、デカブリストの乱に連座してシベリア送りになり、鉱山で強制労働させられることになった友人たちにプーシキンが送ったといわれるたいへん有名な詩ですけれども、私が知る限りこれに曲を付けたのはショスタコーヴィチだけです。
まあ帝政ロシア時代にあっても、そしてロシア革命で皇帝が打倒されて政治体制が変わっても、スターリンが死ぬ20世紀の半ばまでこのシベリア送りの強制労働というやつは続いていたわけですから、安易にこんな詩を歌になんぞすると自分もシベリア送りさせられかねないということで多くの作曲家にとっては取り上げることに抑制が働いていた、ということもあるのかも知れません。しかしショスタコーヴィチがこの「プーシキンの詩による4つのモノローグ」を作曲したのは1952年、まだスターリンの天下だった時代なのですが...
厳しい時代にあっても希望を捨てずにいれば、やがて自由がまたやってくるのだ!という歌、くしくもこの翌年の3月にスターリンは死去します。
その後も決してバラ色の時代がやってきたわけではないのですけれども...
音楽的にはちょっと難解で耳に優しい歌曲とは言えないのですが、決然とした力強さが心に染みてきます。何よりもこの詩が歌になっていた、ということを知っただけでも私は大変感動しました。
( 2006.03.11 藤井宏行 )