Otryvok Op.91-1 Chetyre monologa na slova A. Pushkina |
断章 プーシキンの詩による4つのモノローグ |
V jevrejskoj khizhine lampada v odnom uglu bledna gorit, Pered lampadoju starik chitajet bibliju. Sedyje na knigu padajut vlasy. Nad kolybeliju pustoj jevrejka plachet molodaja. Sidit v drugom uglu, glavoj poniknuv, Molodoj jevrej, gluboko v dumu pogruzhjonnyj. V pechal'noj khizhine starushka Gotovit pozdnjuju trapezu. Starik, zakryv svjatuju knigu, Zastjozhki mednyje somknul. Starukha stavit bednyj uzhin Na stol i vsju sem'ju zovjot. Nikto nejdjot, zabyv o pishche. Tekut v bezmolvin chasy. Usnulo vsjo pod sen'ju nochi. Jevrejskoj khizhiny odnoj Ne posetil otradnyj son. Na kolokol'ne gorodskoj b'jot polnoch'. Vdrug rukoj tjazhjoloj stuchatsja k nim. Sem'ja vzdrognula, mladoj jevrej vstajot I dver' s nedoumen'jem otvorjajet - I vkhodit neznakomyj strannik. V jego ruke dorozhnyj posokh... |
ユダヤの小屋に小さなランプが、かたすみで青白く燃えている ランプの前には年老いた男が聖書を読む 彼の白い髭は本の上にかかっている 向こうでは若い女が、空っぽのゆりかごのそばに泣きながら立つ 別のすみには、頭を垂れて座り もうひとりのユダヤの若い男が想いにふけっている ひとけの少ないキッチンでは年老いた妻が 遅い夕食の支度をしている 老いた男は、聖書を閉じて それを銅箱の中へとしまう 老いた妻はわびしい夕食を並べ 家族皆にテーブルへ来るように呼びかけるが 誰もやってこない、食事のことなど忘れたように 時間だけが陰鬱に流れていく そして夜の帳の下、すべてのものが眠りにつく だがこのユダヤの小屋には やすらかな眠りは訪れてこない 街の教会の鐘が午前零時を告げるとき 突然、重々しいノックの音がする 一家は目覚め、そして若い男が起きて 恐る恐るドアを開ける 見知らぬ巡礼者が入ってくる その手には巡礼の杖が... |
ショスタコーヴィチもまた、他のロシアの作曲家同様プーシキンの詩につけた歌曲をいくつか作っているのですが、そのテキストの選択には一線を画しています。プーシキンの詩によるロシア歌曲といえばこのサイトでも既にたくさん取り上げていますけれども、ご覧頂ければお分かりのように抒情的な恋愛詩がほとんどすべてといってもよいくらいです。ですがこれらロシアのラブソングばかり聴いているのではプーシキンの別の重要な一面、社会改革に目覚めた当時の青年貴族将校・いわゆるデカブリストたちに心情的な共感を寄せ、ロシア社会の不合理を告発をするような激しい詩もたくさん書いていたということをつい忘れてしまいます。そんな社会派的活動が理由で彼はサンクトペテルブルグを長期にわたって追放になったのですし、デカブリストの反乱が失敗後には、反乱者たちが誰も彼もプーシキンの詩に影響されていたことに愕然とした時の権力によって今度は都に抱え込みになってしまったことなども...
私の知る限りひとりショスタコーヴィチだけが、社会派プーシキンの詩を取り上げて素晴らしい音楽にしてくれているのです。
さてプーシキンの詩に付けたショスタコーヴィチの歌曲集では、「プラウダ」批判による第4交響曲と第5交響曲との間の長い沈黙の間に作られ、第5交響曲の終楽章でその引用が聴けるということでいろいろな解釈を呼び起こし注目度の高い作品46の「プーシキンの詩による4つのロマンス」がありますが、私はそれよりもう少しあと、1952年10月にプーシキン没後115周年記念としてわずか4日間で作曲したというプーシキンの詩の中でもより鮮烈なものを選んでいる作品91の「プーシキンの詩による4つのモノローグ」の方が興味深いです。詩の選択からかなり大胆ですし音楽も生き生きとしていて、くっきりと何を狙ったかが見て取れるのです。
最初の「フラグメント」、プーシキンの時代も、そしてショスタコーヴィチの生きた20世紀前半においても理不尽な差別を受けていたユダヤ人のことを書いた詩です。交響曲第13番「バービィ・ヤール」や歌曲集「ユダヤの民族詩」などを挙げるまでもなく、ショスタコーヴィチの中・後期作品にはこんな風にユダヤ人をテーマにした作品が目立ちますが、その中でもこれは極めて鮮烈です。
赤ん坊を亡くして悲しみに沈むユダヤ人の家庭、そんなところに夜中にドアを叩き入ってくる見知らぬ巡礼者とは一体誰なのでしょうか。
スターリンの時代、秘密警察が目をつけた人間を拉致するのはこんな真夜中であったといいます。ショスタコーヴィチもいつ何時この詩と同じように夜中の訪問を受け、そして彼の幾人もの知人や友人たちがそうであったように処刑されて戻ってこない運命になっていたのかも知れません。それを思うと非常に意味深長な詩の選択です。音楽は美しく静かに淡々と流れるのでそれとは気が付きにくいですし、詩だけ見ていても本当かよ?と思えなくもないですが、でも調べてみるとこの曲はそういう解釈をされているみたいです。そう読んでみると「巡礼の杖」が何を意味するのかはお分かりですよね。なお「断章」という題を付けたのは作曲者で、プーシキンによる詩の題名はAGASFER、刑場に曳かれるキリストを嘲ったために、その復活の日まで世界を放浪する運命を負うことになったさまよえるユダヤ人伝説に基づく名前であるようですが詳細は調べ切れませんでした。そもそもプーシキンにこんな詩があったこと自体私は全く知らなかったのです(河出書房よりプーシキン全集が出ているのですが、この詩を私はまだそこに見つけていないのです)。ネットで調べたところ1826年作といいますからデカブリストの乱後、プーシキンがペテルスブルグに戻されてからの詩であることまでは分かりました。ちなみにショスタコーヴィチが曲を付けた作品91の他の3篇もだいたい同じ頃の詩のようです。
( 2006.03.11 藤井宏行 )