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Synu   Op.62-1  
  Shest’ romansov na slova U. Raleja,R. Bernsa i Shekspira
息子へ  
     ローリー・バーンズ・シェイクスピアによる6つのロマンス

詩: パステルナーク (Boris Leonidovich Pasternak,1890-1960) ロシア
      To His Sonne 原詩:ローリー Sir Walter Raleigh,

曲: ショスタコーヴィチ (Dimitry Shostakovich,1906-1975) ロシア   歌詞言語: ロシア語


Tri veshchi est’,ne vedajushchikh gorja,
Poka sud’ba ikh vmeste ne svela,
No nekij den’ ikh zastignet v sbore,
I v etot den’ im ne ujti ot zla.

Te veshchi: roshcha,porosl’,podrostok;
Iz lesa v brevnakh - viselits mosty,
Iz konopli - verevki dlja zakhlestok,
Povesa i podrostok eto ty.

Zamet’,druzhok,im vroz’ ne narezvit’sja,
V soku trava i les,i sorvanets,
No pust’ sojdutsja: skripnet polovitsa,
Strunoj verevka,i juntsu konets.

Pomolimsja s toboj ob izbezhan’i
Uchastija v ikh rokovom svidan’i.


Three thinges there bee that prosper up apace
And flourish, whilest they growe a sunder farr,
But on a day, they meet all in one place,
And when they meet, they one an other marr;

And they bee theise, the wood, the weede, the wagg.
The wood is that, which makes the Gallow tree,
The weed is that, which strings the Hangmans bagg,
The wagg my pritty knave betokeneth thee.

Mark well deare boy whilest theise assemble not,
Green springs the tree, hempe growes, the wagg is wilde,
But when they meet, it makes the timber rott,
It frets the halter, and it choakes the child.

Then bless thee, and beware, and lett us praye.
Wee part not with thee at this meeting day.

 Sir Walter Raleigh (1552?-1618)   To His Sonne
ここに三つのものがある 悲しみを知らない
その運命が一緒にされぬ時には
だが いつの日か それらが寄り集まる
まさにその日 それらは逃れられぬのだ 不幸から

その三つとは:森と 若草と それから若者だ
森は丸太となり - 絞首台の柱だ
麻からは - 首を吊る縄が
それから吊るされる若造 お前だ

心せよ わが友よ 別々なら何事もない
若い草に木 それに生意気な若造
三つが揃えば:床板は軋み
縄は突っ張り そして若造の終わりだ

お前と一緒に祈ろう 避けられるようにと
この運命的な出会いに加わってしまうことから


3つのものがある、悲しみを知らず健やかな
それら互いが別々である限りには
だがある日、3つがひとところに集まる
集まると、不幸なことが起こる

その3つとは、木と、草と、若造
木は絞首台の柱となり
草は首を吊るす縄となり
そこに吊るされる哀れな若者、それはお前だ

覚えておけ、哀れな息子、3つが揃わぬうちに
緑の若木と、盛りの草と、生意気な若造
3つが揃えば、材木はきしみ
縄は突っ張り、若造は息絶える

哀れなお前よ、心せよ、そして共に祈ろう
お前がこの出会いの一部とならぬことを...


1942年に作曲された「イギリス詩人の詩による6つの歌」、いきなり最初の曲から痛烈です。この歌が息子マキシム・ショスタコーヴィチを意識して作られた、という話(本当かどうかは確認できていませんが、千葉潤氏の著書「ショスタコーヴィチ」にそのような記述がありました)を聞くに至ってはあまりの出来すぎに信じ難い思いですけれど。
ですが1930年代のスターリンの恐怖政治の中、彼の友人や知人が次々とこんな処刑の運命を辿り(ソヴィエトでは絞首刑でなく銃殺だったようですが)、そして彼自身も危ういところまで追い詰められたことを思うと、この歌に込められた思いというものの重たさに慄然とするばかりです。
自分の作りたい音楽を霊感の閃くままに書いていただけなのに、ある日突然思いも寄らないところから訳の分からない言いがかりで「その音楽は反社会主義的である、人民の敵め自己批判せよ」みたいなことを言われてひどい目に遭う、私もつい最近さるサイトにおいて似たような目に遭いましたのでその恐ろしさの片鱗は分かるような気がしますが、彼の場合はそれが生命の危険にまで及ぶわけですから私の体験などは比べ物にならない恐怖であったはずです。ですから1940年代以降の彼の作品にどれも暗い影が見え隠れするのは避け難いことなのだと思います。ただそんな中でもこんな感じで詩に深いメッセージを持たせたり、他の音楽の断片の引用などを巧みに織り込みながらそういう言いがかりに対して一矢を報いている...
ただ潰されてしまうのでも、転向して権力にべったりおもねるのでもない彼のその後の展開が、本人にとっては不本意なのかも知れませんけれども幾多の傑作を生み出したのだということもいえるわけで、中でも歌曲にはこんな風に凄いのがたくさんありますので探訪するたびに驚きの連続です。

この詩を書いたサー・ウォルター・ローリーはエリザベス一世の寵臣として16世紀から17世紀にかけて活躍しアメリカ探検などで歴史に名を残していますが、次の国王ジェームス1世の不興を買って長らくロンドン塔に幽閉され、1618年に処刑された、と歴史にあります。つまりこの詩自体も(書いた時に当の作者が意識していたかどうかはともかく)血塗られた歴史を持つものとして、たいへんに深い意味が隠されているのですね。
そしてこの詩をロシア語に訳したのは第4曲目のシェイクスピアのソネットと同様、ソヴィエトの反体制作家として名高いボリス・パステルナークです。
英語の原詩が古語のせいでとても難しいので、CDの対訳にあったドイツ語やフランス語の訳なども手がかりに読み解いてみました(若干パステルナークの訳の言葉の選び方も生かしています)。そういう点では原詩とは全くの別物になってしまっているかも知れません。また実際に歌われているロシア語の歌詞は著作権があると思いますので掲載はしておりません。ご了承ください。


歌は静かに、つぶやくようなメロディで歌われますが、「それはお前だ」のところでホラー映画のようなびっくりする音を伴奏が出します。絶妙の効果!
ここで作曲者自身の編曲による管弦楽伴奏ではショスタコーヴィチお得意の高音で悲鳴を上げるヴァイオリンが凍りつくような恐怖を増幅します。しかしながら全体としては静かに祈りをつぶやく音楽で伴奏ほどには歌は激昂しません。もっと雄弁にしようと思えばできたところを、抑えに抑えた結果物凄い音楽ができあがりました。大粛清と戦争と、そしてそ親しい人たちとの理不尽な別れと。1930年代後半の悪夢を振り返るかのようなこの音楽は心を揺り動かされずには聴けません。

この曲を献呈された弟子の作曲家L.アトヴミャーンは、彼の映画音楽「馬あぶ」などを管弦楽組曲に編曲した人として知られているでしょうか。でもそれ以上のことは私は存じ上げておりません。最近はもっぱらショスタコーヴィチでも室内楽や歌曲ばかり聴いているものですから、彼の管弦楽作品には私には未知のものがけっこうたくさんあります。しかしこんな歌をあのスターリン時代に献呈された弟子としては困惑するしかなかったのではないかと要らぬ心配までさせられてしまいます。 (2006.03.03)

パステルナークの著作権が日本では2013年に切れましたので、歌われるロシア語の原詩とそこからの訳をサイト移転を機にアップ致します。

( 2016.07.15 藤井宏行 )


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