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Son   Op.8-5  
  Shest' romansov
夢  
     6つのロマンス 

詩: プレシチェーエフ (Aleksey Nikolayevich Pleshcheyev,1825-1893) ロシア
      Ich hatte einst ein schönes Vaterland 原詩: Heinrich Heine ハイネ,Neue Gedichte - Verschiedene - In der Fremde(新詩集-種々の歌-異郷にて)

曲: ラフマニノフ (Sergei Rachmaninov,1873-1943) ロシア   歌詞言語: ロシア語


I u menja byl kraj rodnoj;
Prekrasen on!
Tam jel' kachalas' nado mnoj...
No to byl son!

Sem'ja druzej zhiva byla.
So vsekh storon
Zvuchali mne ljubvi slova...
No to byl son!

私には故郷があった
とても素晴らしいところ!
白樺の木が聳え立つ
だが、それは夢だった

家族たちが、友が元気でいて
あちらからこちらから
優しい言葉をかけてくれた
だが、それは夢だった


ロシアの詩人アレクセイ・プレシチェーエフによるハイネの詩の大胆訳による素晴らしい歌曲を「わが子よ お前は花のように美しく」に続いてもうひとつ。
こちらのハイネの原詩は何だかちょっと愛国的な感じさえ受けるのですが(Emily Ezustのページより転載させて頂きました。下の方に訳詞と共に載せています)、彼は30代半ばからずっと故郷を離れてパリで暮らし、そんな中での望郷の念からこの詩を書いたようです。
音楽や絵画ではなく、言葉にたいへん深く関係している芸術である詩を書く人が、長いこと国外で暮らすというのはとても大変なことのように思えます。この詩もそういう意味での「言葉 Wort」へのこだわりがたいへん興味深く思えます。

さて、プレシチェーエフの訳はこの「言葉」へのこだわりの部分が弱まってしまったきらいはありますが、「国家」を感じさせずに「ふるさと」に寄せる思いが強く出ているところが私にはたいへん好ましいです。非常に短い詩ですから、これにメロディをつけても大変短い歌になってしまうのですけれども、20歳そこそこの若者セルゲイ・ラフマニノフが、これをたいへん美しい歌曲にしています。彼のメロディストとしての資質が良くでた傑作です。
「夢だった」の前で勢い込んで盛り上がっていくメロディが一瞬の間をおいて、そして暗く沈んでいく。
もう戻ることの叶わぬ故郷への熱い想いと悲しみが見事に表現されています。

作曲者ラフマニノフもまた、ロシア革命とともに国外に出、そして二度と戻りませんでした。彼もまたこの歌を亡命先で噛み締めたのでしょうか。皮肉な因縁ではあります。そして興味深いのは、彼ラフマニノフも国外に亡命してからは歌曲をまるで書いていないこと。
西条八十ではありませんが「歌を忘れたカナリア」のように、彼の歌の創作力も故郷を離れては湧いてこなかったのでしょうか...

この歌は男声で聴く方が私は好きです。ライブで聴いたネステレンコ(BS)の歌が素敵でした。彼の歌はRussian Discの盤で聴くことができます。

   Ich hatte einst ein schones Vaterland.
   Der Eichenbaum wuchs dort so hoch,
   Die Veilchen nickten sanft.
   Es war ein Traum.

   Das kuste mich auf deutsch, und sprach auf deutsch
   (Man glaubt es kaum wie gut es klang)
   Das Wort: “ich liebe dich!”
   Es war ein Traum.


   かつて私には祖国があった
   樫の木は高くそびえ
   スミレの花がやさしくうなずく
   それは夢だった

   そこではドイツ語でくちづけされ ドイツ語で話しかけられた
   (なんと素晴らしい響きに聴こえたか誰も分かるまい)
   その言葉は「Ich liebe dich」(君を愛す)
   それは夢だった

( 2006.03.03 藤井宏行 )


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